
2026/3/15

「用賀整形外科クリニック」を運営するスポーツドクターの山口徹(やまぐちとおる)先生にお話を伺いました。用賀駅前、三角公園(くすのき公園)のすぐ裏手に2024年にできたばかりの真新しいクリニックです。幼少期の度重なる引っ越しから、驚愕の文化祭実行委員長時代、ハードすぎる研修医生活、柏レイソルでのチームドクター経験、そして用賀という地を選んだ理由と未来への熱い想いまで。医療とコミュニティの可能性を語り合う、濃厚で笑いありのサシ飲みトークを、ほぼノーカットの全文記事でお届けします。(インタビュアー:武井浩三)ーー:YOUGA SPIRITS第6回目のゲストということで、用賀整形外科クリニックの医院長、山口徹先生にお話をお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。
山口:よろしくお願いします。
ーー:このメディアはテイストとしては、飲み会の延長みたいな雰囲気にしたいなと思ってるんで、もう結構ザックバランで大丈夫です。フランクにお願いします!
山口:じゃあ、あんまり気にせず喋りますので(笑)。
ーー:ということで、え、山口先生。この用賀整形外科クリニック、このビルというか場所自体結構新しいですよね。去年?一昨年?にできた。
山口:2024年の5月に出来上がったビルなので。
ーー:そうですよね。まだ1年半、2年経たないぐらいですかね。今ちょうど。
山口:はい。
ーー:えっと、このビルができてから用賀に関わるように?
山口:そうですね、はい。
ーー:それまではどちらにいらっしゃったんですか?どちらにというかお仕事。
山口:えっと、あの、僕らってまず大学の医局ってとこに所属して、で、大学の関連病院に「今年はお前あそこ行け、来年はあそこ」みたいな感じで転勤をずっとし続けるんですよね。
ーー:なるほど。
山口:なので、ま、今まではずっと静岡県にもいたし、栃木県にもいたし、新潟にもいたし。
ーー:え、そんなに全国なんですか?その大学病院の範囲によって?
山口:(大学によって、異動の)広さが違うんですけど、比較的そうやって転々と異動してて。で、ひとつ前は(医局とは関係なく)八王子スポーツ整形外科というクリニックで働いたのが前職になるんです。
ーー:うん、なるほど。じゃあ用賀は本当にここに来るまでは全然、縁もなく……。
山口:そう、そうなんですよ。ま、普通に外から見てるイメージだけで。なんか住宅街で、落ち着いた商店街みたいな形で「住むには良さそうだな」みたいなイメージしかなかったっていう感じですね。
ーー:今お住まいは?
山口:品川区ですね。
ーー:あ、品川。そっかそっか。

ーー:じゃあちょっと時系列で、お聞きしていきたいと思うんですけども。まず生まれ育ち、どんな場所、地域で育ったのか、どんな幼少期を送られてたのか、いいですか?お聞きしても。
山口:はい。えっと、ま、東京の病院で生まれたんですけど、結構すぐに、父親があの、関西で勤務してたので、あの、神戸、大阪とずっとこう、その辺りのところを住んでたらしいんですけど。僕もちょっとその、詳しく覚えてないぐらい引っ越しの回数が多くて。
ーー:お父様はお医者様ではなく?
山口:違います。普通に会社勤めしてるサラリーマンだったんですけど、結構引っ越し回数が多くて。多分今までに20回以上引っ越ししてるんだと思うんですけど、人生で。
ーー:すご!(笑)
山口:そう、そうなんですよ。だからもう親に聞いてもどこに住んでたかとかはあやふやな感じで「あそこにもいたよ、神戸にも住んでたよ、大阪も住んでた」みたいな感じで、なんかちょっと僕も追えないんですよね、正直(笑)。なんか一時淡路島にもちょろっといたとかなんか色々言ってましたけど、ま、基本的には父親の仕事に合わせて、父の趣味で「なんかいい間取りの物件があるから引っ越そう」みたいなノリで引っ越したんで、そういう感じで関西中心でした。
ーー:うんうんうん。
山口:で、僕が幼稚園に上がるぐらいの頃に転勤兼ねて東京に引っ越してきて。
ーー:あ、じゃあ幼稚園頃からは東京…。の、どの辺りに?
山口:えっと、その時も最初品川でした。で、えっと、だからそれまでは関西弁だったんですけど、幼稚園に上がってからはもう東京弁になっちゃったってか、ま、今や関西弁喋れないっていう感じになっちゃったんですけど。
ーー:うん。
山口:で、ま、幼稚園から品川区とか港区とかその辺のところに、ま、やっぱりなんかその父親が気に入った物件があると引っ越す。で、また時代が良かったんで、引っ越すと儲かるんですよ。
ーー:はいはいはい。高度成長期とか不動産バブルとか。
山口:バブルなんで、なんかその父親は趣味の引っ越しをする度に、なんかお金が貯まっていくみたいな感じ(笑)。
ーー:物件も都度買ってたんですか?
山口:そう、そうそう。なんかだからそれがどんどん増えてくみたいな時代があって、ま、もちろんその後下がってく時代も来るんですけど。で、それで小学校は本当にその品川、港区の小学校に通ってて。で、特別にスポーツもせず、なんか「これに夢中になってたんですよ」とかってのは、そんなになくて。今ちょっと、どんな話しようかと思ったんですけど。
ーー:え、今、スポーツドクターですけど(笑)。
山口:全然スポーツやってない(笑)。本当に日曜日に友達とちょっと野球やったりとかするぐらいで、別に毎日毎日暗くなるまでなんか、やってたとかって感じじゃなくて、比較的おとなしくちゃんと家にいたなっていう感じの小学生時代でしたね。ま、小中そんな感じですね。
ーー:へえ。中学校は?
山口:そうですね。で、ま、だからちょっと当時、あの、今から40年近く前ですけど、要はそのバリッバリに中学受験の勉強してる子ってそんな多くなかったんで。
ーー:あ、港区でも。
山口:港区でも。ちょっとこう周りから冷やかされるっていうか、「何勉強してんだよ」みたいな。
ーー:あ、私立に行かれてた?
山口:あ、公立の小学校だったんですけど、中学受験したくて。で、その勉強してると、ちょっと僕も親も保護者会で言われるみたいな感じの時代だったんで、ガリ勉とか言われたりとかして。なのであんまりなんかその、もう素直に親の言うことを聞いて、淡々と勉強してみたいな、多分素直ないい子だったんじゃないかと思うんですけど。あ、思い出した。そういえばあの幼稚園の時にすっごいエピソードがあって。
ーー:うんうんうん。
山口:比較的あの僕、病弱だったんですよね。てかすぐ風邪引くぐらいの感じです。で、あの、小児科のある病院に親が連れてってくれたら、パジャマで病院中うろついてる子供たち、いる子たちがいて。それを見て「なんであの子たちはパジャマなんだ」「外行きの格好してないんだ」って言ったら、ま、その、入院してるんだってことを教えてもらって。「入院っていうのは家に帰れないのか」って聞いて「帰れないのよ」って言われて。なんかそのショックで、その病院に泊まんなきゃいけないような子がいるの?って思って。
ーー:同い年ぐらいの子供たちが。
山口:もう本当、ちっちゃい子たちがいて。で、それを見て僕が母親に「じゃあ僕が医者になって治してあげるよ」って言ったって言うんですよ。これかっこよくないですか?このエピソード。
ーー:すごい(笑)。
山口:いやだから、僕はなんか言った気はしてるんですけど、で、ずっとそれを僕はこうやって言い続けてきたわけですよ。「なんで医者になりたいの?」って言われたら「こういうエピソードがあって」ってやってきてるんですけど。でもこれ、母親が刷り込んだんじゃないかと思って(笑)。いや、そんなこと言わないよなと思ってて自分ながら。だけども完璧な記憶なんですよ。言ったっていう。
ーー:へえ〜!
山口:で、多分うちの母親は、すっごいそういうマインドコントロールが上手かったのか(笑)、僕に勉強させて医者にさせようっていうのが多分上手だったんで、もう今他界してますけど、今生きてたら結構大人物になったんじゃないかなっていうぐらいのエピソードがあって。でももう完全に信じ切ってたんですよね、僕としては。で、何の疑いもなく全部。医者になるから勉強するんだって、ずっと言ってたらしいです。でも自分が親になってみると「あれ、親が刷り込んでるよな?」と思って。「子供は言わないよな」ってちょっと今思ってますけど(笑)。
ーー:じゃあ結構、小中の頃から「お医者さんになれ」みたいな。
山口:ま、「なれ」とは言われてなかったんですけど、なるためにどういう学校に行き、どうしたらなれるかっていうのはすごいシミュレーションしてましたね。なので、ま、一応医学部進学が考えられるぐらいのレベルではいたんで、中学校の時とか部活入ってんだか入ってないんだかみたいな感じで。そんなに何かこうスポーツとか部活動に時間取られるとかってことはなくて、ずっと真面目に勉強してたっていう感じの小中だったんですよね。あんま面白くないですね。すいません。
ーー:いやいやいや、面白い。そっか。で、中学高校は一貫ですか?

山口:そうです。中高大学までずっと慶應だったんで。中学から内部進学できちゃったんですけど。
ーー:中学ってキャンパスはどちらですか?
山口:日吉ですね。横浜の。
ーー:あ、そっかそっか。じゃあ中高大全部日吉。
山口:あ、そうですね。ま、大学の途中から信濃町っていう慶應病院がある新宿区に通ったんですけど、それまではずっと日吉にずっと。結局だから8年間か、ずっと通ってるような感じでしたね。
ーー:へえ。そうかあ。高校はどんな?
山口:高校になると3年間の学年の成績の総合値で進学決まっちゃうんで、もう1年の1学期からお勉強がんばらないと!、みたいな感じにはなっちゃうんですけど。だけどなんか「部活動はちょっとやれる時間がないから」って言って、生徒会に入ったんですよね。なんかなんとなく惹かれて入って、で結構それでもターニングポイントになってて。あの、学園祭の実行委員ってのがあったんですよ。
ーー:はいはい。
山口:で、結構それにドハマりして、めっちゃ面白くて。予算内で何買って、何の企画をやって、とかってプロデュースしてくのは結構面白くて。で、結構1年生の時から前のめりにずっとやってたら、ま、最終的にその3年の時は「日吉祭」っていう学園祭の実行委員長までやったんですけど。
ーー:へーー。すごい。
山口:その組織マネジメントして、で、生徒さんたちに何のイベントをどうやったら安全にできるか、とかってやってくのは面白いなっていうのがあって。何かにつけてお祭りもすごい興味があって、そういう運営してくの、絶対面白いんだろうなと思って。なんか何もないところから形あるものを作っていくってのはすごい面白いし、何事にも代えがたい経験だなっていうのは結構、文化祭のその実行を通じて感じましたね。
ーー:ええ、でも慶應で言うと結構生徒数も多いんじゃないですか?
山口:そうなんですよ。慶應高校って1学年800人いるんで。生徒数2500人なんですよ。
ーー:え!?そんなにいるんだ!!
山口:そうなんですよ。だからあの、僕の時、A組からR組までだったんですけど、休み時間にR組のやつに会いに行って帰ってくるともう休み時間終わるんですよ(笑)。
ーー:そんなにでかいんだ(笑)。
山口:すごいでかいんですよね。その当時まだ40人以上、50人近くのクラスだったんで、18クラスとかあって。
ーー:すご。超巨大ですね。それの代表。めっちゃ大変じゃないですか?
山口:今思えばですよね。当時はもう、わかんないから学園祭もそれしか知らないし。高校のお祭りは外にも行きましたけど、ま、規模感はやっぱり日吉の高校が一番大きかったんで。実行委員会も多分3年で3、40人とか結構いたし。
ーー:なんかそれがでも、まあ本当にいいマネジメントの勉強にはなりますよね。確かにね。面白いですね。
山口:みんながやりたい企画って、すっごい殺到するんで、企画書結構寝ずに読んで選ぶんですよ。で、ま、大半は喫茶店やって外から来る女の子とお茶をしたいっていうのが多いんですよね(笑)。やっぱり。
ーー:やっぱり、男子校だから(笑)?
山口:です。詰襟の学生服2500人が通学してくんですよ。すごいんですよ、その景色が。で、企画選ぶ時も、やっぱり喫茶店やりたいっていう連中の方が企画書の熱意がすごいんですよ(笑)。なんか文化系の部活は「文化系の部活だから選ばれて当たり前でしょ」みたいなのがあって、ちょっとなんか「いつも通りやります」みたいに書いてくるんです。
ーー:うんうん。
山口:若いから僕もカチンと来て「こんなんじゃ通さねえよ」みたいにしたら、教員室から呼ばれて「文化系の部活を文化祭で落とすなんてありえないだろ」ってめっちゃ怒られて(笑)。僕が「いや先生、企画書見てくださいよ。熱意が違うんですよ」とかって言って。それはもうお前が文化系の部活に指導してって言われて、僕は生物部の連中とか科学部の連中に「もうちょっとアトラクティブに考えてもらっていいですか?」みたいな(笑)。
ーー:面白い(笑)。
山口:そう。なんかそれもまあ、いい機会でしたね。で、結構その、クラスで団結してなんかやりたいんだっていう子たちとか、有志で集まってとかってのを選ぶんですけど、本当にその熱意がすごいんで、企画書選べないんですよね(笑)。教室の数が決まってるから。泣く泣くそのクラス対抗を落としたら、まあそのクラスの担任含めてめっちゃ恨まれて。「いや、ちょっとこんなに俺ら団結して盛り上がったのに、頼むよ山口」とか言われて。で、ま、ちょっと申し訳ないですけど企画書見てくださいって見せたら「ああこれはしょうがないな」とか言ってたんですけど。それぐらい熱意がある連中だったんで。
ーー:おー、青春ですねえ。はいはい。
山口:まあ、だから逆に始まれば、もう走り出しちゃえばものすごいお客さんも来ていただけるし。本当に安全にできるように、っていうことだけ考えてれば盛り上がるんで、大体。外部から来た人にご飯作って出したり模擬店やったりとかするんで、これ本当に衛生上大丈夫なの?って高校生ながらに思ったりとか色々あって。実際に予算管理とか売上の管理とか、自分たちに入るわけじゃないから実行委員としての収入になるだけなんですけど、でもなんかそういうところでお金のやり取りするとか、外部の方にものを買ってもらうっていうのはちょっと学ぶ機会になってましたよね。
ーー:ええ、すごい。
山口:文化祭は本当になんかそういう意味では、もう明らかにそっちに時間かけてたんで成績結構落ちて(笑)、で、また教員室呼ばれて「お前医学部行くんだろ」みたいな。文化祭の当日とかちょっと成績悪くて当日へこんでました。「やべえ」とか言って(笑)。
ーー:なるほど(笑)。
山口:ま、でも無事に進学できたんで良かったんですけど。

ーー:で、大学の1、2年もキャンパスは日吉で、医学部は6年ですよね。
山口:なので、まあ、なんかちょっとやっぱり、その医学部に入るってことの大変さみたいので多分燃え尽きちゃったんだと思うんですけど、大学入ったら全然勉強しなくなっちゃって。
ーー:入るのやっぱり大変ですか?
山口:外部から入ってくるのが多分天文学的に難しいんだと思うんですよね。高校から進学するのは、800人いる中の28人が推薦もらえるんで、800人中のトップ28に入ってれば進学できると。
ーー:なるほど。医学部に関しては。結構倍率高いんですか?
山口:そうですね。ただみんながみんな医学部行きたいわけじゃないから、工学部に行きたいって連中もいるので。ま、本気でしのぎを削ってってのは多分50人とかは本気で狙ったのかもしれないですけど。
ーー:ええ、すごい。なるほど。じゃ、大学はどんな感じで遊んでたんですか?
山口:医学部だけの体育会ってのがあるんですよ。要は、そのいわゆる他学年の普通の体育会だと練習時間とかが合わせられなかったり、活動場所が合わせられないんで、医学部だけの体育会ってのが存在して。で、ま、先輩の勧めもあってヨット部に入ったんですよね。江の島で2人乗りのヨットでレースするみたいな部活なんですけど。そこがまたなんか、レジャーでヨットでとかって言うとなんかちょっと優雅な感じなんですけど、ガッチガチに競技。
ーー:競技、はいはい。
山口:もう本当に何日間海にいるんだぐらいの感じで。授業で出なきゃいけない授業以外はほとんど江の島いるぐらいの勢いで、1年の時からできる限り海に出てて。平日は社会人とかしかいないんですけど、一緒に混じって「あ、またいるね」みたいな感じぐらいいましたね、海に。だからもう、なんか楽しいとかじゃないんですよ。もうなんか、生活として海に出ないといけないみたいな(笑)。
ーー:当時は海の方に引っ越ししたんですか?
山口:学生の時は都内に住んでました。週末になるとま、基本は金土で行く、でそれ以外の平日も1回帰って授業のコマに合わせてまた行くみたいな感じで通ってました。僕、あの、早くに母親亡くしてて、父親と一緒だったんですけど、なんかあの、父親から色々「やれ学校行けたのか」とか言われるの嫌だったんで、成人したぐらいですぐに1人暮らし始めて「もう自分で勝手にやります」と。だからま、別に誰に何も言われることなく家借りて、で、海に通って学校行ってみたいな感じの生活をしてたんですけど。
ーー:へえー。
山口:医学部の中ではま、頑張ってましたけどね。なかなかちょっと、その大会で優勝とかまで行けなくてちょっと悔しい思いが多かったんですけど。もう反動で、終わった後全く海行きたくなくなっちゃうぐらい。一生分どころか(笑)。当時は本当にもう海に行くと、どこに風が吹いてるか見ちゃうみたいな。「こっちからいま風が来てる」とか言ってついつい。
ーー:そっかー、なるほど。医学部って、どの専門に行くかっていうのは学生のうちは決めないんですか?
山口:今と制度が違うんですけど、僕らの時は大学6年が終わって医師国家試験受かると、その時点で自分は何科に行きますって言って届けを出すと。一応入社試験みたいな面接があって「どうぞ入ってください」みたいな。
ーー:どの領域に行こうかっていうのはあったんですか?当時。
山口:えっと、1つはその母親を早く亡くした時に胃がんで亡くしたんですけど、やっぱそのちょっとがんで人が亡くなるってのは結構自分の中でショックで。なんかちょっと人の生き死にを見るのはどうなんだろうっていう風にちょっと逃げてたとこもあって。王道なんですけど、内科っていうのはちょっと自分にとっては耐えられないかもなと思って。「だって救えないじゃん」みたいな。「どのみち人って亡くなってしまうじゃん」っていうのがちょっとあったんで、そこから逃げようみたいなとこはあって。
ーー:うんうん。
山口:ていうのが1つと、あとはあのアトランタオリンピックの時の日本代表がブラジルに勝った試合があったんですけど。その世代の時に当時日本代表で小倉さんっていう超有名選手がいたんですけど、膝の靭帯損傷しちゃって出れなくなっちゃったんですよね。その時になんかその、結局手術とか治療をオランダでするっていうのを聞いて。「日本の医療って膝の靭帯治せないの?」ってちょっと学生ながらに思ってしまって。
ーー:おー。
山口:それがずっと学生時代引っかかってたんで、最終的にやっぱりちょっと6年生になった時に、もう整形外科が自分にとってはモチベーションとして「治したいとか良くしたい」、でしかも母親の病気を見なくても済むみたいなところで合致して、もう整形にしようって決めてましたね。迷ったりはしなかったんですけど。
ーー:あ、そっかあ。差し支えなければお母様は、おいくつぐらいの時に?
山口:僕が16で高1の時に。
ーー:早いですね。
山口:それも皮肉なもので、症状は腰痛しかなかったんですよね。で、腰痛で整形に通って何ともないって言われてたのが実は胃がんでしたっていう。僕ら今の立場からするとゾッとするようなエピソードなんですけど。だから僕も今でも腰痛を見ると、ちょっとなんか本当に整形的な問題なのかっていうのは悩んじゃうんですけど。やっといろんな科に行って気づいてくれた時には結構末期がんでしたみたいな感じだったんで。なんか多感な時期に母親亡くなっちゃったんで、ちょっとやっぱりショックでしたよね。
ーー:そうですね。僕も母親、胃がんと食道がんで亡くしてるんですよね。もう6年、7年前ですけど。大往生というか、でも66歳だったんで。弱っていくのを見るのはきついですよね。僕の母なんか1年間もうだんだん食べれなくなって、最後の半年は点滴で、全く食べれなくて。
山口:なんか僕に気を使って「良くなってるから」って言ってるんだけど、僕も良くなってるって信じきってて、後から思えば「いや、良くなってなかったよな」と思ったりとかして。なんかちょっと悔しい思いは強いですよね。今だったら逆になんかその悔しさをバネに内科とか外科とか選んだかもしれないですけど、大学の時はあの母の姿を見るのはきついなと思っちゃいましたね。
ーー:なるほど。そっかそっか。で、卒業されて最初はどちらの病院に?
山口:最初大学で1年間研修した後に静岡の方に「いきなり行きなさい」って派遣。静岡の清水、今の静岡市になっちゃいましたけど清水っていう次郎長で有名なところに行って。で、すっごい充実してて。静岡は気候もいいし人もあったかいし、病院から富士山が見えて反対側の窓見ると海が見えて。めっちゃ環境良くて。本当に一番下っ端で行ったんですけど、先輩のドクターからもすごいよく教えてもらって。比較的清水の方ではすごく頼られてる機関病院だったんで、夜中に呼ばれて手術とかいろんな経験ができたんで、本当に清水は、1年経って送別会の時に泣いてしまうっていうぐらい楽しかったですね。
ーー:そういう研修医とか若いお医者さんって、なんか僕ら素人のイメージからすると泊まり込みでとか、そういうの実際にあったんですか?
山口:ありました。自分が当直の当番で泊まらなきゃいけない日もあるし、結局自分の受け持ってる患者さんが調子悪ければ帰れないんで。しかもまだ僕も経験が浅いから、今日これ家に帰っていいのかどうかも分からないから、とりあえず分からないから残ろうって(笑)。あとは救急で来た方の手術があって、他の先生がやってるって言ったら「じゃあ自分も勉強したいから一緒に行きます」とかって言って。本当に病院にいる時間長かったすよね。今は働き方改革で夜中には帰らなきゃいけないとか、朝は何時からしかカルテは触っちゃいけないとか色々ルールがうるさいんですけど、当時はなかったんで、連続何時間働いてもいいみたいな感じだったから本当にヘトヘトになってぶっ倒れるまで働いてましたね。
ーー:あの、当直医というか、研修医ってすごくこう安月給みたいなイメージがあるんですけど実際そうなんですか?
山口:あの大学病院の時は、月に2万5000円なんですよね。平成11年の時に。で、しかも、病院も毎月振り込むの振込手数料もかかっちゃうしもったいないじゃないですか。だから3ヶ月まとめて7月に7万5000円振り込まれるんですよ。
ーー:えー(笑)。じゃあ夜の当直とかでアルバイト代を稼いで、みたいな。
山口:そうです。いろんな市中病院の夜間のドクターで「整形しか見れなくても大丈夫だからうち来て」とか言ってもらって渡り歩いて、結局月の半分とか当直して回ったりとかしてるんで。そこで生活費稼がないと食べていけない感じでしたね、当時は。
ーー:そこから、どんなキャリアとか、どんな地域を何ヶ月何年ごとぐらいにこう?
山口:基本1年ごとで。栃木県の真岡市っていう益子焼き近くの日赤病院に行ったんですけど。そこは本当に「救急とか絶対断りません」みたいな感じで、めちゃくちゃ来るんですよ、救急車。本当に街から出れないっていう感じで。慣れてくるとチャレンジして宇都宮のスターバックスに行くのが自分の中での「スタバチャレンジ」とか言って(笑)、でも大体呼ばれちゃうんですよ。途中で行けなくて、スタバに。行けなくて帰ってくるみたいな感じで。
ーー:そんなにハードなんですか!?
山口:そうなんですよ。病棟ほとんど僕の患者さん、みたいな。50何人いる病棟全部僕の患者さんですみたいな時とかあって。で、診察で1人3分「どうですか」って言いに行ったとして2時間半かかるなと思って、回診するのに。7時に始めて夜9時10時まで回診して、そのうち「もう消灯してるからやめてください」みたいな感じで、結構ハードでしたね。
ーー:いや、でも本当お医者さんっていう職業って、普通の一般の仕事とまた違う状況だから。
山口:でもなんかそれがまた楽しいっていうか、天職だと思ってやってましたけど、当時は。どんなにハードでも逆に暇になるよりは喜ばしいことと思ってました。確かにきつかったけど。で、その後に大学に所属してると研究をしましょうみたいなお誘いがあって。基礎研究って、遺伝子とか扱う方がかっこいいんじゃないかみたいな甘い気持ちで行って2年間やってたんですけど、本当に大変でした。全然、勉強が足りてなかった。寝る間も惜しんで基礎の研究してる方々って時間が貴重だから「5分の発表なら5分で喋ってよ」みたいな事も言われて価値観変わりました。なんで臨床の人って偉そうに10分とか喋るのとかって言われて、確かにそうだよなと思って(笑)。
ーー:へえ。で、研究が終わった後は?
山口:だんだん指導する立場になってくので、また栃木の足利市に行って、3年ぐらいいたんですけど。そこは3次救急って言って、命の危機に関係するような救急車が全部絶対そこに来る、っていうとこだったんで。もう本当に当直も眠れないし、オンコールでもめっちゃくちゃ呼ばれるんで本当にもう大変でした。何時間連続勤務してんだろう、みたいな感じの日々で。本当に大変でした足利は。
ーー:ええー。お医者さんって本当に重要な職業ですよねえ。
山口:そこで、どんどん患者さんが救急車で来ちゃうんで「なるべく早く手術しよう」っていう風に部長先生が決めてくれて。待たせてもギリギリ2日間みたいな感じで。で、早く手術すると早く良くなるんですよ、ご高齢の方とかが。家で倒れちゃいました、股関節を骨折しました。で、1週間2週間待たされて手術すると、もう歩けないんですよ。だけど、早く手術しようって部長が言い出してパッと手術したらもう次の日から歩けるんですよ。あれ?と思って、ちょっと、もしかしてこれ僕らが治療を工夫したら患者さんがもっと良くなったりとかできることが増えるんじゃないか、ってのはその時にすごい感じて。
ーー:おぉ!なるほど。
山口:1週間以内に平行棒で何往復とかできるようになると自宅に帰れる率が上がる、みたいな感じのが分かったんで。「あ、それやっぱ早く手術した方がいいわ」って言って。その辺で僕、リハビリの重要性とかをちょっと思ったんですよね。でも結構その早く手術するっていうのが批判されたりとかしてて。「心臓に病気があったらどうするんですか」とか「慎重にした方がいいんじゃないですか」って言われるんですけど、でも骨折って待ってても生存率が下がってっちゃうんですよね。寝たきりになって肺炎起こしてとかって。だから言い方悪いんですけど、その壇上で「どのみち死亡するリスクあるんじゃないんですか」って言ってバトルしたら結構またわーって炎上して。「人の命何だと思ってんだ」みたいなこと言われて(笑)。
ーー:いや、でも高齢の方の足の骨折とかって生存率下がっちゃう。やっぱり歩くって大事なんですか?人間にとって。
山口:そうなんですよね。筋力的にもそうだし、あとはその認知の部分でも、歩かないで寝たきりになっちゃうと一気に昼夜わかんなくなっちゃったりするので。だから朝4時に転んだおばあちゃまがいたとしたら、その日のうちにオペするじゃないですか。で、翌日に歩くんで。
ーー:え、すごい!
山口:そういうなんかちょっと研究してくってことが人に還元できるとか、ダイレクトに健康につながるっていうのは、ちょっとその時に感じましたね。ただまあ、やっぱりまだまだその整形って「レントゲン撮ってMRI撮って異常がなかったら痛み止め飲んで様子見てください」みたいなのが主流で、手術が必要かどうかっていうことしか判断しないっていうのが大きかったんですよね。で、なかなかそのリハビリで治るとかっていうマインドを持ってる先生方が当時は多くはなかったんで、僕もそこでモヤモヤしながら、ずっとそのまま足利で勤務してて。で、その後あの「スポーツ整形外科をやりたい」ってずっと言ってたんで、恵比寿にある北里研究所病院っていう大学病院に勤務することになって。

山口:そこで初めてスポーツ現場に出たりとか、アメフトの試合に帯同するとかっていうのを始めて。リハビリのスタッフともっと親密にミーティングしてっていうのが増えていって、スポーツ選手見るんだったらリハビリ大事だなっていうマインドがすごく強くなって。いろんな学会で著名なスポーツドクターにお声かけしたりとかしてたら、運良く柏レイソルのJリーグのチームドクターのサポートしてくれないっていう話が来て。
ーー:へえ、それが何年ぐらい前ですか?
山口:2010年か。で、スポーツチームの練習に帯同するとか遠征に帯同するみたいな仕事を始めて。そうするともう本当に今まで自分がやってきた「レントゲン上問題ない、痛み止め飲んどいて」っていう治療は全く通用しないってことを痛感しました。その場で「いや今良くなんなかったら俺明日の試合出れないんだけど」って言われちゃって。日々突きつけられて。「何ができるんだろう」と思って。1日でも早く治してくれっていう生活に変わったんで、もうなんか自分の価値観が一変したというか。で、チームの方も「じゃあ山口にチーフをやってもらおう」って話になったんで、週の半分以上柏にいるような生活が途中から始まって(笑)。結局10年ぐらい柏レイソルの仕事してたんですけど。
ーー:へえーー。
山口:もう結構中毒性があって、試合に勝つともう次の1週間超ハッピーなんですよ。「俺が診た選手たちが活躍して試合勝ったぞ」ってなったら最高の1週間なんですけど。逆に負けた時の、しかも怪我人が出たなんて言ったら、もう家族がちょっと「あ、やばい。試合負けてる…」ってなって声かけてこない。帰ってくるなり不機嫌だし1週間どんよりなんで(笑)。
ーー:ええ。
山口:本当に監督も選手たちもすごい一体になってるチームだったんで。怪我人が出て「(治るのに)半年ぐらい掛かるんじゃないですかね」とかって僕が言うと、監督が意地悪ですよ、冗談なんですけど、半年の試合日程出してきて「この試合出せるか」って言うんですよ。「わかんないよそんなの」と思うんですけど、それぐらい「お前真面目に診ろ」と。1試合でも早く治してくれっていうのすっごい言われて。サッカー選手って寿命も長くないですから、平均すると25、6歳でみんな引退しちゃうんで。
ーー:そっか。そんな早いんだ。シビアだなあ。
山口:だけど選手は「いや試合出れます」っていう。そこのせめぎ合いなわけですよ。「いやお前おかしいよ」って言って。「うるさい俺試合に出るんだ!ドクターには見せない」とか言って。なんかドラマみたいな。で、自ら自分からクラブハウスに行って診てるから「お前なんかいらねえよ」って言われかねないわけですよね。本当に病院に来て、助けてくださいって来てるわけじゃないので全然立場が違うから。でも勝ち負けに貢献できるのは面白かったんで。で、まあ10年やったらヘトヘトになりましたけど家族からも「また土日いないの」とか言われて、「あ、ちょっとそろそろ潮時かな」と思って。
ーー:でもそんなに、こうお忙しい中でご結婚されてお子様生まれて。どこに隙間があったんですか?
山口:確かにどうしてだったんだろう(笑)。なんか別になんか合コンに行ってとかそんな感じですよ。当時はなんかあの、医療関係はちょっとやめようと思ってたんですよね。違うフィールドの人の方がいいなと思ってて。あのスポーツの仕事をするってなると、実は大学の派遣っていうところから外れちゃうんですよね。大学としては「何勝手にお前自分で仕事作ってんだよ」と。「大学の関連病院を守るっていう仕事をしてくれよ」っていうので。じゃあ「夏休み返上します、有給休暇も全部返上します」ってなって、そうすると今度家族が「え、夏休みないの?うわあ大変」てなっちゃったんで。で、ちょっと大学から「このままじゃいられないよ」って言われたんで、「じゃあ申し訳ないけど僕はスポーツの世界に生きてくんで大学辞めます」って言って医局辞めさせてもらって。
ーー:タイミングですね。
山口:八王子スポーツ整形外科で手術を学び、そこで最先端のリハビリも学び、ってしてて。八王子で仕事しながら柏レイソルの仕事ってのは、八王子と柏だったんで遠くて大変だったんですけど、でもすごい自分にとっては大事で。
ーー:そっか。で、その次がこの用賀ですね。
山口:やっぱりそうやってスポーツ選手診てて、勝ち負けの世界に生きてるのは楽しかったんですけど、ちょっと家族に迷惑かけすぎたかなって思ったんで。ある時なんか大阪に遠征に行くって言ったら「また行くの?」って言われた時に「あ、ダメだもうこれ」と思って。今まではなんか「肉まん買ってきてね」とかそういう感じだったんですけど、応援されてないなと思ったんで、これやめなきゃダメだと思って。
ーー:やっぱりお子さんとの時間とかありますよね。
山口:実際あの、次男が幼稚園に上がる時に園長先生と面談があって、園長先生に「大きくなられたでしょう。最近どんなことできるようになりました?」って聞かれた時に、言葉につまってしまって。。何が成長したのか答えらんなくって。なんかそれでちょっと自分もショック受けて、奥さんに「ほら」みたいな「全然わかんないでしょ」って言われてちょっとそれが大ショックで。「あ、これダメだな」と思ったんで、そこでもうスポーツの現場仕事やめようと思って。
ーー:なるほど。。
山口:で、辞めた後も八王子の勤務を続けてたんですけど、スポーツ選手が「1日でも早く治してくれ」ってテンションで来てて、僕もそのたびに「これやって明日これやって明後日これやったら良くなるよ」っていうのをずっとやってきてたんで、これってもしかして一般の整形外科に落とし込めるんじゃないかっていうのが、だんだんだんだんフツフツと思ってきて。ご高齢の方の腰痛にも肩痛いとかっていうのにも応用できるんじゃないかなって思い始めて。それをちょっと体現する場として、どこか受け皿を作れないかと。スポーツの現場で培われてきた治療とかを一般の人に落とし込むっていうのができないかなと思ってたのが実現したのが、ここみたいな感じなんですよね。

ーー:なるほど。ここはえっと、ご自身で開業されて?
山口:はい。テナントをお借りして。設計とかも全部やって。
ーー:でもいきなりここの広さでスタッフさん集めるとかそういうのも大変ですよね。
山口:だけどやっぱり整形って、リハビリがさっき言った通り僕の中では命なんで、広さが絶対必要だったから。都心に向かえば向かうほどリハビリの広くないところが多いんですよ。だけど僕としては東京の人がちゃんと治療が受けられる整形を作りたかったんですよ。変な話、土地が高くなってくから都心に向かえば向かうほどちゃんとした整形の治療が受けられないってことになっちゃうから、それおかしいだろうと。離れていけば、田舎に行けば行くほど土地が安くなるから広いリハビリテーションがあっていい治療が受けられるって、なんか矛盾してると思ったんで、ちょっと一石を投じてやりたいってのがあったんで。
ーー:あ、素晴らしい。
山口:それで、都心で土地柄も良くてっていうのでずっと探してて。ちょうど用賀にってなったんで、用賀はなんか土地としてもすごくいい場所だし、別にビジネス街だけでもないしちゃんと住宅街があって、地域の方々が住んでて学校もあるし。学生さんのスポーツの怪我も、一般の方々の怪我も全部見れるって意味ではいい場所なんじゃないかってのがあって。で、もうこれは絶対いいと。だけど本当は僕はもっと広い方が良かったんですよ。最初図面見て「狭い」って言ってやめてたんです(笑)。どんだけお前風呂敷広げんだよ、と思うんですけど。「狭いからダメ」って言って図面放ってたら、奥さんが見て「絶対行った方がいい、絶対見た方がいい、土地にパワーがある」って言って。
ーー:すごい。奥様何者ですか(笑)。
山口:僕は「狭い!」って、ふてくされて家で寝てたんですけど、帰ってくるなり「行きなさい」って言われて「ちょっと行ってみるか」って。確かに見た瞬間に緑も豊かだし、駅前だけど全然その線路があるわけじゃないから街としても美しいし。で、OKストアの前で人がめちゃくちゃ通ってるんで、これは確かにいい場所だわと思ったんで、もうぜひここでやるって決めて。
ーー:いや、ありがとうございます。もうね、うちの息子もお世話になってまして本当に。いや、本当はね、怪我しない方がいいんですけどね。おかげ様で週4日サッカーに行ってるんで。そういうご縁で用賀に来ていただいて嬉しいですね。
山口:用賀の方はやっぱりその、「治したい」っていう気持ちがすごい強い方が多くて。もっと、とりあえず病院行っとけばいいやとか、とりあえずリハビリ通えればいいやみたいな人が多いのかなと思ったんですけど、結構ちゃんと治したいとか、飲み薬とかじゃなくて運動で治したいとかっていう、身体に対する意識が高い方が多いなと思って。「あ、これはなんかニーズに叶ってるかもな」って思うような患者さんがすごく多いんで。スポーツと別で骨粗鬆症も自分の専門分野なんで、そういう意味ではご高齢の方々が骨粗鬆症で通われている率もすごく多いですし。ま、スポーツはスポーツで得意なんで、特に膝は僕の専門なんで、靭帯の怪我の方とかも結構いらっしゃるし。
ーー:そっか、すごい。いやあ、もうよくぞ用賀に来ていただいてありがとうございます。
山口:あとあれですよね。やっぱお祭り見て、ちょっともうハートわしづかみされましたね。「用賀サマーフェスティバル」、ありがとうございます。なんかあんなにこう、子供を「好きなとこ行っといで」って言っても全く危険を感じないような、雰囲気のいいお祭りはなかなかないなと思って。的屋風な雰囲気ではなく。こんなにキラキラした明るい感じのお祭りなんてないよなと思って。なんかこの前も息子が言ってました、「夏のお祭りまだかな」って。「また行きたい」って言ってたから「行こう行こう」って話をしてて。
ーー:嬉しいですね。
山口:だから本当あれで結構わしづかみにされて「いやこんないいイベントがあるんだったら」と。まあ来ていらっしゃる方も1年経ったらちょっと顔見知りが増えてきてて、「あ、◯◯さん」みたいになってきて。ホントこのコミュニティいいなと思って。ま、ちょっとその一役を担えるんであれば。
ーー:ぜひぜひ。もう是非、あの、(YSFの)運営の方も人材募集してますんで(笑)。
山口:確かに文化祭実行委員長いますからね(笑)。高校の時のその文化祭で後夜祭にアイドル呼んじゃったんですよ。で、当時今から35年ぐらい前にアイドルが高校の文化祭で歌うって教員の先生たちもブチ切れだったんですよ。
ーー:ちなみに、どちらのアイドルを?
山口:よく聞いてくれました。安室奈美恵さんです。
ーー:うわ、やば!やば!
山口:いや、たまたまなんかレコード会社さんに勤務されてるの方の息子さんが後輩にいて。で、その後輩君が「山口さん、初めまして。うちの父に宣伝してこいって言われました」って言って、安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S、当時まだSUPER MONKEY'Sだったかな。で、(非売品の)CDシングル渡されて「聴いてください」って言われて。「聴いたってわかんないけど、どうしたいの?」って言ったら「後夜祭出たいらしいです」って言うから。「あ、じゃあレコード会社さんに舞台設営してもらって、音響も全部任せるから。プロの音響で学生バンドとかで歌えるから頼むわ」って言ったら「全然いいですよ」って言って。来たらめっちゃ顔ちっちゃい女の子が。これ、この子すごくない?って話になって。まだデビューしたてだったんですよ。売れるちょっと前だ、全然。アムロブームの前。
ーー:おお!
山口:で、みんなはなんか「真ん中の子可愛くない?」って言ってて。「え、可愛い可愛い」ってわーって結構高校生が夢中になってて。そしたらしばらくして、超有名になってきたんで「あの子ね、俺育てたんだよ」っていうぐらいの(笑)。でも裏では、教員室で結構会議が行われてたらしくて「山口が勝手にアイドル呼んでると。誰も許可持ってない。どうするんだ」って、断ってこいとか話があったらしいんですけど「山口が言ってますから」って言ってなんか守ってくれた先生が何人かいて。で、まあなんか停学だぞとか言われたんですけど、まあどうにかできて、それでやっぱり大学の学園祭並みに盛り上がるったんで。そしたら翌年には奥菜恵さんが来たりとか。
ーー:ああ、すごい。流れを作ったんだ。
山口:作っちゃいました。しかも来てくださったのが安室さんだったんで。非売品って書いてあるCDシングル、しばらく持ってましたし(笑)。そうなんですよ。お祭り事が大好きなんで、実は。そうなんですよ。運営大好きなんです。
ーー:いや、息子さんたちにも是非YSFの運営に。僕の娘なんかも運営メンバーに入って関わってるんですよね。
山口:彼もイベント好きなんで、本当はそういうの多分やりたい方なんですけど。まだまだちょっとあれかな、遊びで見てって感じかもしれないですけど。でもなんか本当に息子にとってはいいイベントだったみたいなので、また今年も。

ーー:じゃあそろそろ最後にですけれども、この用賀、それから用賀に限らず山口先生が今後、未来に向けて何かこう、やってきたいこととか、そういうお話を。
山口:さっきもちょっと「予防」って話してたんですけど、ちっちゃな怪我を、捻挫とかをちゃんと治すっていうことが、実は大きなその次の病気だったり怪我だったりを防ぐことには実はすっごい寄与してて。で、骨が折れました、手術しましたっていうとやっぱり医療費もかかるし、国の財政もやっぱり最終的には圧迫するわけじゃないですか。だけど、怪我をしました、リハビリだけで治りました、っていうのでちっちゃなところで食い止められたら、医療費って削減できるはずなんですよね。
ーー:うんうん。日本国民みんなにとって良いですね。
山口:なので僕は、このリハビリテーションだったり運動するってことの価値を、やっぱりもうちょっと、あのメタボとか内科的な方がやっぱり皆さんこう目が行きがちなんですけど、運動することでいかに人は健康になれるかっていうことをもっと広く知らしめたいし広めたいし。コロナの時に運動しなかったことが、いかに不健康につながったかっていうことをやっぱりもっと見つめ直して。当時、ちっちゃい時に運動できなかった子供たちがどれだけ不利益をこう被ったのかとか。っていうのをやっぱり考えると、リハビリだったり運動して治す、薬じゃなくて運動で治すっていうことが最終的にはみんなの健康につながるっていう風に思ってるし。ま、その社会実験っていうとちょっと言い方が失礼になっちゃうんですけど、その証明をするのがこの場であってほしいなって思ってて。
ーー:素晴らしいですね…。
山口:とにかくなるべくお薬に頼らずにリハビリだったりご自身で運動することで健康を高めてってもらって、結果的に内科的なものも治り。なんかその、用賀の方々が元気にずっとやりたいことをできる、思うように体が動かせるっていう風な社会を作るのに、ちょっとでもお手伝いができればいいなってのが、ま、やりたいことだし、これからもやってきたいし。で、なんかやれてきてる実感もちょっとあるから。「旅行に行けないと思ったら行けました」なんてお話も聞けたので。ま、そういうことを積み重ねて、用賀の方々に健康で充実した人生にしていただいて。少しは貢献になるのかなっていうのを考えて、それを広げていきたいなと思ってます。
ーー:いや、嬉しいですね。なんか僕も街づくりとか不動産の専門なんで、やっぱりそういうのを調べてくと、その医療って究極は未病予防、事前対応というか、病気になる前の方が大事で。じゃあそこにどうやって医療従事者が地域住民たちとこう接点を持つかっていうと、やっぱり解決策がコミュニティになってくるんですよね。
山口:そうですね。健康保険使って治療ってなると病気がないとルールがないので、未病って部分に関しては確かにちょっと健康保険はカバーしてないジャンルになっちゃいますからね。
ーー:そうですね。だからコミュニティ、僕らも「チーム用賀」っていうコミュニティやってて、その中で今マラソン部とか色んな部活動が立ち上がって、みんなで走ったりとかしていて。なんかすごい健康的だし、しかも面白いし。これ1人だったらなかなか運動って、特に大人になるときっかけが減っていくんで、コミュニティがあって僕も、やっぱり大会とかにみんなで出ようっていう目標を作らないと、ついつい走んないんで(笑)。やらない理由なんていくらでも見つかりますから。ちょっと今日花粉がとかちょっと今日寒いなとか言って。
山口:いや本当そうなんですよ。
ーー:いや、そういうのがなんか僕の中でも今繋がってすごく嬉しいなって思いました。
山口:患者さんが怪我することは僕嬉しくないし、怪我して患者さんが増えてなんてことは全然考えていないので。どっちかっていうと(治療が)きっかけになって「あ、自分であとはやります」って言ってくれて、さっさと病院に通う回数が減ってくれる方がよっぽど嬉しいので、なんかそういう社会になるといいなと思ってますけどもね。
ーー:いやあ、名残惜しいですがお時間がそろそろね、ということで本当に今日はありがとうございました。。
山口:すいません。なんか、だらだら喋っちゃいました。
ーー:いや、いや。もう予想以上に面白くていっぱい聞いちゃいました。ありがとうございました。また今後ともよろしくお願いします!
山口:よろしくお願いします。
