
2026/4/19

上用賀の農家に生まれ、現在は印刷会社「パーシモン」を営みながら、用賀商店街の理事や世田谷区の玉川納税貯蓄組合連合会の副会長も務める和田康弘(わだやすひろ)さんにお話を伺いました。 環八と清掃工場に翻弄された幼少期の原風景から、スポーツカーを乗り回しディスコで遊んだ青春時代、町会からの逃亡劇、そして現在に至るまでの数奇な半生を語り尽くします。馬事公苑ハイムの「黒豹」から奥様とのロマンチックな遠距離恋愛まで、笑いと驚きが絶えない様子を、ほぼノーカットの全文記事でお届けします。(インタビュアー:武井浩三、編集:AI(notebookLM)、撮影:新井佑)ーー:和田さん、いつもありがとうございます。今日はよろしくお願いします。雰囲気としては、ほんとなんか、飲みながらグダグダ喋ってるみたいな。
和田:分かった分かった。いいよ。それで!
ーー:なるべく本音ベースで。
和田:本音ベースで行きます。だから、悪口言うかもしれないよ(笑)。
ーー:悪口言ってもいいです(笑)。理事長(※用賀商店街理事長)の場合、3分の1ぐらい使えなかったんで(笑)。
和田:俺も俺も(笑)。ま、じゃあ幼少期から喋ろっか、そしたら。
ーー:今、お住まいは用賀ですか?
和田:僕はね、今、瀬田なの。で、えっと、どう説明しようかな。まずね、ちょっと、僕、年齢的にもう俺65なのよ。
ーー:うん。
和田:そんで俺、子供いないんだよ。で、ま、ちょっと土地も売っぱらっちゃったのがあるから、そういう意味で。現金とか要は動産で残しとこうっていう考え方で。土地はもうめんどくさいからさ。固定資産税とかいろんなのがかかるし、相続があったらめんどくさいじゃない。
ーー:元気なうちにの方がね、土地に関してはいいですよね。確かに。
和田:そう。で、まあどういうことかっていうと、ま、元々は僕、上用賀で生まれたの。今の清掃工場のあたりで生まれたらしい。
ーー:はいはいはい。
和田:そこよく知らないんだけど。昭和36年に生まれて、清掃工場のあたりで生まれて。で、当時なんだろうね。環八にはね、団地があったんだよ。都営住宅がいっぱい。
ーー:ええ、環八のどのあたりですか?
和田:えっと、今の福本さんの前あたり。
ーー:あ、環八のあっち側(ガソリンスタンドの方)ですね。
和田:そうそうそう。あの辺があって。それはなんとなくちっちゃい頃の記憶で残ってんだよ。で、ま、こっち(砧公園側)はゴルフ場だったでしょ。僕は上用賀で生まれたんだな。そんで、ま、うちはずっともう古いんだよ。昔からの農家だよ、はっきり言って。和田一族の農家。

和田:で、ま、正直、農家の息子ってのがすごい嫌でね、子供の頃は。はっきり言って。なんか今になってみると別に全然「ああ」ってなるんだけどさ、当時は恥ずかしくて嫌だったの、すごいそれが。それであの、ま、用賀で生まれて、小学校も用賀小学校に入って。まだ用賀小学校ができたばっかだったのかな、当時は。
ーー:うんうんうん。
和田:まだ10何年しか経ってなかった、10年ぐらいしか経ってなかったんじゃないかな。んで小学校入って。そんで幼少期は、まあ上用賀に住んでるから。で、そう、小学校の時に、用賀駅って当時「玉電」だったんだよね。だけど俺が小学校2年生の5月になくなっちゃったの。玉電が。
ーー:おー、はいはい。
和田:電車がなくなっちゃうんだよ。物心ついた頃には、小学校の1、2年生の頃には用賀に電車がなかったわけだ。
ーー:そっか。地下鉄の工事してたから、その間なかったんですね。
和田:そう。そうすると僕はどっちかっていうと、遊びに行くのや、電車乗りに行くのは千歳船橋なわけよ。だから僕の子どもの頃の地元は用賀と言うより千歳船橋に近いのよ。千歳船橋とか祖師ヶ谷から電車乗るから。結局、船橋まで歩いていくわけだよ。今考えると遠い距離なんだけどさ、あの当時当たり前だと思って動いてたんだ。
ーー:うん、そうですよねえ。
和田:そんでバスがすごい本数通ってたの。玉電がなくなったから、あのバスがね。前の「寿司の中川(2023年閉店)」があるでしょ?あそこを経由して渋谷行きのバスがね、10分に1本ぐらい出てたの。
ーー:え、用賀中の近くの寿司の中川ですか?
和田:そうそう。今なくなったあそこにバス停があったの。あれが用賀駅から出て、だからうちから駅行かなくてもバスに乗れちゃったのよ。
ーー:なるほど。
和田:そうすると結局、用賀の町に近づかないのよ、子供の頃は。だから用賀の町の記憶ってのはほとんどゼロに近いのよ。

和田:で、上用賀の農家のうちだから、ま、昔のうち見てよ。勝手口ってあるでしょ。
ーー:はいはい。
和田:ここに用賀の商店街の人たちが持ってくるわけで、いろんなものの配達で。配達で来るから、結局は子供の頃って用賀の町に遊びに行くってことはほとんどなかった。
ーー:へえー。
和田:中学校の時も電車がないから。用賀の町は正直、ほとんど記憶にないんだよ。用賀中学校時代も電車がなかったから。だからもうなんて言うんだろう、なんか出かけるって言うと、船橋か、その寿司屋のバス停から渋谷まで行っちゃう。渋谷まで行っちゃうから結局用賀の町に近づかないのよ。
ーー:へえー、確かに僕らが畑でお世話になっている上用賀の和田徹さんなんかも「駅行かねえよ」って言ってましたね。
和田:うん、だからあの駅にほとんど記憶がないの。結局それでほら、買い物なんかはさ、お米屋さんが持ってくる、酒屋さんが持ってくる、肉屋さんが持ってくる、八百屋が野菜持ってくるって。全部勝手口に持ってくるんだよ。
ーー:はいはい。
和田:だからあの当時は、結構農家のうちって勝手口ってあるんだよ。玄関とはまた別に、裏口に。
ーー:もうサザエさんの世界ですね。
和田:そうそう。あそこでもう本当に「野菜来ましたー」って。うちのお袋がなんか頼むとそれを持ってきてくれる。肉も何も全部。だからそういう感じだから、結構柳田さんとかに色々話聞くと、上用賀の人たちの奥さんは用賀の町に買い物行く時は着飾っていくんだって。
ーー:なるほど(笑)。
和田:そう。で、用賀の商店街の商人たちが、要は上用賀の人たちのとこに御用聞きで動いてた世界ってこと。
ーー:なるほど、配達しに来てたエリアなんですね。
和田:ま、結局はもう俺が中学校の時、笑い話になっちゃうけどさ。例えば米屋がプラッシーとかさ、ファンタとか持ってくんじゃん。
ーー:プラッシー、懐かしい!
和田:プラッシーとか米屋が持ってくんだよ。そうすると俺んちの倉庫にボーンと置くんだよ。で、俺は中学校は用賀中学校だった。用賀中学校の北口が昔あったんだよ。俺んち側に。学校からもう50メートルぐらいのとこだったんだよね。
ーー:へえー。
和田:そうするともうさ、中学生のたまり場だよ。俺の部屋、離れだったから。みんなが勝手に入ってきて、もう勝手になんか遊んでってさ。で、俺ん家のジュース勝手に飲んでっちゃうんだよ。うちのお袋怒ってさ、「昨日1ダース買ってたらもうねえ!」っつってさ(笑)。コーラとかファンタとかさ、パーンと買うわけだ。それをもう友達が来ちゃうと勝手に飲んでっちゃうんだ。みんなパカパカパカパカ。ま、そんなような世界だったね。中学校の時はね。

ーー:生まれたその生家が、今の清掃工場のあたりで、すぐに引っ越しちゃったんですね。
和田:うん。だから、今の瀬田の前のうちだね。すぐに引っ越しちゃって、でもそれも上用賀の5丁目だから近所だよ。それが用賀中学校の近くで。それで越して、ま、そこで過ごしたんだけど。地下鉄ができたのは高校1年の時だから、本当に用賀の記憶がほとんど残ってないんだよ。子供の頃の。
ーー:高校1年。結構な期間ですね。
和田:だからもう10年間ぐらい、小学校から中学校までが用賀に電車がない生活だった。
ーー:そうなんだ。用賀に電車がなかった時代。10年間。
和田:だからもう結局は電車で出るっていうと船橋なんだよ。小田急の方に行ってた。だから俺の中での記憶が、もう小学校中学校の記憶は千歳船橋なんだよ。街の記憶は用賀の話じゃないんだよ。本音言うと。
ーー:そうか。上用賀のその当時の方々ってあんまり外に出ないというか、上用賀の中で生活されてた感じなんですね。
和田:親父たち見てても、消防団入ってたりしてみんなそんな付き合いで。あとは農協関係だよね、農家さんの付き合いとか。本当にだから商店街の人たちは、あの当時俺が物心ついた頃には、やっぱり商売やってるから派手なんだよね。
ーー:あ、なるほど。商店街と農家さんとやっぱり違うんですね。
和田:違う。やっぱり商店街の方は会社やってたりするから、比較的生活が派手なんだよ。で、農家ったらもう地味だよ。結局は「守る」っていう感覚がすごい強いから。
ーー:まあ確かに、日常生活が畑ですからね。
和田:税金払って土地を守っていく、維持していく。そういう感覚が強いから。だからやっぱり農家の人たちって、保守的、内向きな人が多くなるよね。今の現在の人たちを見てても、やっぱり派手さはないよね。
ーー:うん、確かに「守る」っていう意識になりますよね。
和田:だからもう結局は守りに入るから、地味な感じになっちゃうよね。俺はそれが嫌で嫌でね。

ーー:なんか、部活とかはどんなことをされてたんですか?
和田:俺はね、中学校の時ずっとスキーやってたの。大好きだったのよ、スキーが。冬になるともうずっとスキー行っちゃうの。小学校4年生の時からやってる。
ーー:えー!すごい。もう、ハマっちゃったって感じですか。
和田:ハマっちゃって、いとこがスキーやってたから。いろんなとこ行ったよ。当時は連れてってもらえたの。まあ結構今考えたら遠くまで行ったな。志賀高原まで車ですごい時間かけて。
ーー:へえー。
和田:中学の頃は冬になるともうスキーばっかり行っちゃう。いとこの別荘があったから。苗場の方だったよ。で、その辺でスキー、もう毎週連れてってもらったね。
ーー:いとこの方も用賀の方ですか?
和田:いとこは、えっと、玉川精螺ってネジ屋があんのよ。昔ローソンがあったところ、用賀中町通りの。長谷川(材木店)さんのちょっと先。
ーー:あー、はいはい、今歯医者になった。
和田:そうそう。あれ俺のいとこで。理事長より1個下なんじゃないかな。横島さんっていう人なんだけど。
ーー:じゃあ、和田さんのお兄さん的な感じなんですね。
和田:そう、その人がだから、結局やることはスキーとサーフィンなんだよ。それ一緒に連れていかれるから覚えちゃうんだよね。サーフィンも高校からやってた。
ーー:すごい!とっぽい、かっこいいー。
和田:ずっとやってたんだよね。24、5の頃までやってたかな。スキー部なんかないじゃん?だから部活はしなかったの俺。
ーー:へえー。
和田:サッカーは小学校の時ちょっとやったけど、レギュラーになれないからやめちゃった(笑)。用賀小用賀中は、当時サッカーすごい強かったんだよ。多分東京都で優勝とかしてんだよ。今の日本サッカー協会の田島さんとか池田さんとか、あの辺が用小なんだよ。
ーー:へえ、すごい有名!
和田:ほんで瀬田行くと戸塚(哲也)と都並(敏史)ってのがいて。元Jリーガーの。
ーー:おお!!
和田:結構有名なの。あれが瀬田中で。
ーー:結構どころか超有名ですよ、ええ。そうなんだ。なんでこの辺、サッカーが盛んだったんですかね?
和田:小学校の時は、日本ってサッカー遅れてたんだよ。うん。三菱ダイヤモンドサッカーって番組があったの、土曜日に。で、ワールドカップの放送とかさ、半年遅れでやってんだよ。
ーー:ええ、そうなんだ。
和田:うん。で、ま、当時はみんな野球だからさ、サッカーなんてそんなにやってるやついなかった。
ーー:ああ、当時は。うん、うん。
和田:当時は「巨人、大鵬、卵焼き」じゃないけどさ。うん。野球だったの。そんで、韓国って結構サッカー盛んだったんだ。あの、当時昔は。
ーー:あ、そうだったんですね。
和田:それで、用賀小学校に百済(くだら)先生ってのがいたの。百の済って書くんだけど、朝鮮の。うん。その先生がサッカーが上手で、サッカー教えてたの。
ーー:へー。
和田:だから用賀小学校は結構サッカーの環境良かったんだよ。
ーー(武井):そうかぁ。今、僕の息子も新井の息子もサッカーやってます。
和田:うん。うん。だからそれのルーツがずっとあるんじゃないかな。
ーー:面白い。中学校の頃は、じゃあ結構溜まり場だから、もうみんな悪さしてたんじゃないですか。
和田:悪さ。たまり場だよ。もうタバコ覚えちゃって。
ーー:あ、そうなりますよね(笑)。
和田:俺んちでタバコ吸ってくんだよ。で、みんなでパチンコ行ってさ、パチンコ。
ーー:え、パチンコ!?どこ行ったんですか?
和田:清水さんとことか、オアシスとか。
ーー:ああ、だからあれだ。今のジョイフィットのとこ。
和田:うん。そう、そう、そう。あそこパチンコ屋だったんだよ。そこ行くとタバコ吸えるからさ、みんなパチンコ屋行くんだよ。
ーー:中学生で。
和田:中学生で(笑)。これインタビュー載せられるかな?
ーー:まあ、50年近く前の話なので、時効ということで(笑)。
和田:パチンコ行く。パチンコ屋とゲームセンターがあった。あれ、高校生ぐらいからゲームセンターの日の丸。ミヤマって(パチンコ屋)があったんだけど中華料理屋と一緒にやってて。うん。ええ。で、その頃から用賀の町にちょろちょろっと行くようになって。
ーー:ああ、なるほど。高校生ぐらいになってから。
和田:で、高校生になると今度ほら、電車で学校通うじゃない。俺、目黒の方の高校に通っていたんだよ。祐天寺の。電車で1回渋谷まで出て、東横線で祐天寺。
ーー:じゃあ結構遊んだんじゃないですか、高校時代は。
和田:結構遊んだ(笑)。渋谷通過するからさ。で、笑い話があってさ、目黒の方の学校行くと結構集まる生徒が、日比谷に住んでたり、恵比寿、青山、新宿に住んでるのがいるんだ。そうすると、そいつらと遊んだりすると用賀が馬鹿にされるんだよ。
ーー:えー!?
和田:「なんだよお前、用賀なの?」って。たまたま遊びに来たらさ、馬事公苑の馬が道路を歩いてるんだよ。そいつらにしてみると日比谷や高輪に住んでたりすると、やっぱ自分たちは都会だと思ってるんだよね。そんで用賀に来て、馬が走ってるって馬鹿にされてさ。
ーー:なんか今と逆ですね。今はむしろ、馬がいていいなって感じですよね。
和田:あの当時はだから「和田のとこ行くと馬いるってんだよ、田舎だぜ」とか言われてさ(笑)。彼らにしてみると、用賀はものすごい田舎に見えたんだろうね。
ーー:へえー、そうか。
和田:そう。で、まあ高校生からそんなんで、結局渋谷が遊び場になっちゃう。勉強は全然ダメだった。もう落第生のレッテル貼られたみたいになっちゃって。そんでま、大学は1年で中退しちゃったのよ、俺。
ーー:大学行かれたんですね。
和田:結局遊んじゃってさ。20歳、21ぐらいは、もうスキー行きたくてサーフィン行きたくてさ。車の免許あるじゃない。自分でどこでも行けちゃうじゃない(笑)。親に「お前学校行ってんのか!」って怒られてさ。学校行くふりして車で出かけちゃう。だから人間的に将来何したいとか全然なかったのよ、その当時は。
ーー:へえー。いやなんか理事長の話もそうでしたけど、僕らの時代よりも派手な遊びの話が多い。いいなー。和田さんはどんな遊びをしてたんですか?
和田:だから本当高校生の時、ディスコとか行ったよね、結構。新宿のツバキハウスとかさ、赤坂の無限とか。当時のディスコだから、みんなで踊りにいってね。ま、俺踊り下手くそだからさ、全然ダメだったんだけど、雰囲気味わうだけだよね。
ーー:うん、いやそういうのがいいですよねー。
和田:当時はやっぱ車乗っちゃったら、もう遊びの範囲がえらい広がっちゃうわけだよ。どこでも行けるから。
ーー:ちなみに車は何に乗ってたんですか?
和田:俺車大好きだったからね。当時はいい車持ってないと、デートにも誘えない感じだったんだよ。
ーー:そういう時代ですよね(笑)。
和田:なんか2台持ちが自分の中でかっこよかったんだよ(笑)。使い分けて。片っぽスポーツカー、片っぽセダンっていう使い方してたね。ま、車は大好きだったからね。今はもうそんな興味なくなっちゃったけど。買えないから興味ないんだよ(笑)。

和田:で、21の時かな、親父亡くしちゃったんだよ。もう大学行かなくなっちゃって、チャランポランやってる頃でさ。で、親父亡くしちゃって、たまたま用賀にいるじゃん。そうするとうちのお袋がそういう町会とか色々出てたんだよ、親父が出れないから。で、「お父さんいなくなったんだから、お前が顔出せ」ってわけ。「やだよ!」って。20代前半でやだよってさ。
ーー:当時はどんなお仕事されてたんですか?
和田:当時から印刷関係のやってた。で、なんだっけ。そう、町会の用事で、用賀神社のお札取り行くとかさ、いろいろやることがあるのよ。当時は泊まりで行くんだよ。三峯神社と榛名神社って用賀神社の関係なんだよ。
ーー:え、群馬の榛名神社ですか!?
和田:そう。あれは確か用賀神社の、上用賀に三峯神社があったんだよ、上用賀のひまわり荘のとこに。そういうお札取り行くっつって、昔の名残で要は遠いから1泊して帰ってくるっていう感覚。そういうのに連れてかれてさ、用賀グリーンエイトテニスクラブの鎌田さんとか、地主さんたち、飯田恭次さんとか高橋さんとか、そういう人たちと一緒に行くんだよ。それが24の頃だった。
ーー:うん。
和田:そんで俺一緒に連れてかれるじゃない。要は芸者遊びとか好きなんだよな、当時のおじさんたち。自分が24、5だよ?自分の母ちゃんみたいなのに「一晩どう」なんて言われても、勘弁してくれよと思ってさ(笑)。1人だけ若かったから俺、嫌でね。もう用賀にいるのが嫌だったの。町会も嫌いだった。
ーー:なるほど(笑)。
和田:そんで、俺、目黒に逃げちゃったの。30手前で目黒の東が丘ってところにあるうちのアパートに引っ越して。家賃払わずに済むからさ(笑)。そこで40、41か2かぐらいまで暮らしてたの。用賀には全然近づかなくなっちゃった。町会の関係のこともやらずに。
ーー:あ、そうなんですね!
和田:それをうちの弟がやりだしたんだよ。弟と大喧嘩したんだよ。「なんで地元手伝わねえんだ」って言うからさ、「やだよ、もう勘弁してくれよ!」ってさ。で、俺はそういう付き合いが嫌だったのよ。もう全然用賀に顔出さなくなっちゃった。

和田:で、勤めてた玉川台の会社がダメになっちゃったの。当時、3Mの仕事があったから、結構な仕事だったんだけど、3Mが用賀から移転しちゃってさ。で、俺も役員やってたから、借金も背負っちゃってさ。
ーー:うんうん。
和田:当時は「20世紀は情報化時代だ、先見なきゃいけないんだよ」って言われたんだよ。その情報がよくわかんなかったんだよ。今から見たらインターネットなんだよ。当時パソコンが出た時に、まだコマンドで動かしてた時代で、ノートパソコンなんか買おうと思うと80万ぐらいするわけだよ、NEC。Macなんか200万ぐらいじゃない?当時。ほんと高ぇっつってさ。
ーー:そうかそうかぁ。
和田:だけど、Macが出た時にアイコンで動かせるからすごい楽だった。「これは多分間違いなく来るだろう」って会社に入れたんだけど、結局会社が業績が悪くて倒産しちゃったんだよね。借金背負っちゃって、銀行とも大揉めして。
ーー:はい。
和田:銀行は結局その債券を回収したいし、債権者がいっぱい絡まるわけだ。俺も債権者だから。で、俺が機械を担保の代わりにもらおうって、どっかの工場に移そうと思ったの。そしたら従業員がその機械売っちゃってさ!
ーー:えーっ!
和田:俺、従業員とまた大喧嘩。「ふざけんなよ!なんで俺の債権売るんだよお前ら!」ってさ。大揉めしてさ。でも仕事なくなっちゃったから、なんかしなきゃと思って。俺は営業担当の役員だったから、お客さんは残ってるの。で、作った会社が「パーシモン」。
ーー:あ、なるほど。それで印刷系のお仕事を続けているんですね。ちなみにパーシモンの名前の由来ってのは?
和田:目黒の東が丘に「パーシモンハイツ」ってのがあるんだよ。要は普通のマンション。そこに柿の木坂ってのがあって。柿の木ってパーシモンじゃん。で、「じゃあいいや、そこから名前取っちゃえ」と思って。元々ゴルフも好きだったし。柿の木ってすっごい硬いんで有名なんだ。ゴルフクラブで使うんだけど。で、まあ「固くいこうか」っていう意味で。
ーー:固くいこうか。いいですね。
和田:そんでまあ、桃栗3年柿8年じゃないけどさ、まあ10年後ぐらいになってりゃいいかなと思って名前つけたのよ。会社できた時はお客さんに「柿の種」配った。「芽が出ますように」ってさ(笑)。
ーー:お菓子の柿の種!?面白い!粋ですね(笑)!
和田:そんで、自宅に会社構えるって、用賀に戻ってきた。もう42、3だったかな。戻ってきて、それで47、8の頃に、理事長に声かけられて「理事にならないか」って言われて。「いや、俺いいよいいよ」って言ったんだけど、「大丈夫大丈夫!」なんて言われて、そっから用賀と付き合うようになったのかな(笑)。

和田:ま、当時はだから、もう一回話は逆上るけど、サーフィンとゴルフは24、5までやってて、そっからゴルフが始まっちゃったんだよ。「面白いじゃん」って。10年間ぐらい一生懸命やったんだ。で、バブルが終わってみんなゴルフやめちゃうんだよ。
ーー:うんうん。
和田:で、俺目黒住んでるじゃない。当時結婚する前だったから一人住まい。まあ要は自由がすげえんだよ。そっから酒飲みの生活始まっちゃってさ。毎日飲んでたよ。
ーー:飲み歩いてた感じですか?どのあたりを?
和田:横浜だろうがどこでも行った。横浜の野毛あたりとか、知り合いの店があったから、伊勢佐木警察署があるでかい道路の途中のとこ。第三京浜で行けるから、車でよく行ってた。
ーー:どうやって帰ってくるんですか?
和田:第三京浜で普通に帰ってくる(笑)。これ書けるかな。
ーー:時効ですね(笑)。
和田:あと、俺の今の嫁さんのお姉さんが新宿で小箱の、ちっちゃい店やってたんだよ。そこによく飲み行ってたの。そこ行くとさ、女の人が経営してるから、おかまが多いんだよ。出勤前におかまの人たちが飲みに来て、11時になると今度キャバクラのお姉ちゃんがいっぱい来るんだよ。
ーー:なるほど、夜の人たちが来るお店なんだ。
和田:そうそうそう。そんでまあそんなんで遊んでたりしてさ。もうゴルフもスキーもやらなくなって、趣味は酒飲むことになっちゃって。それが14年間ぐらい続いたのかな。40手前になって酒飲むと風邪ひくんだよ。毎日出かけちゃうから。で、これは少し酒を抑えなきゃやばいなと思って、また45ぐらいからゴルフ始めたの。
ーー:うん。
和田:だから色々と、結構ハチャメチャだったね、今考えてみると。
ーー:いやー、面白い。すごい。
和田:子供の頃が一番面白かったかなー、今考えてみると。やっぱり子供の頃、この辺で毎日よく遊んでたんだよ。砧公園でね。あそこに工場があったの。うちの工場っていうか、倉庫があって。
ーー:ああ、農家さんの倉庫ですね。大きいですよね。
和田:うん。上用賀に昔「アサカホーム」ってあったのよ。結構有名なテレビのコマーシャルやってた会社で。
ーー:えっと、工務店ですか?
和田:そう、工務店ね。テレビのコマーシャルもよくやってた。で、その大きい会社があって、そこにアサカイクオさんって人がいて。その人が社長だったの。うちの親父が面倒見てて、場所を貸してあげてたんだよ。
ーー:ああ、なるほど。
和田:で、子供の頃ってさ、なんだろう、秘密基地みたいなの欲しいじゃない。だからそこに、倉庫の中に自分の部屋作ってさ。
ーー:いいですね、それ。
和田:そう。で、もう環八が本当にできたばっかだったから、20分か30分に1台「シューっ」て車が通るくらい。もう車が全然いねえんだよ。環八。
ーー:環八が!?マジですか。すごい。
和田:そう。そんでもう環八を平気で渡ってくるんだよ、こっちの砧公園の方に。自分の秘密基地作ったからそこに来て、キャンプのテントとかあるじゃない?中にテント張って。
ーー:おー、それは絶対楽しいですね。
和田:そう。そんな小学校時代だったかな、今考えてみると。
ーー:そうか。砧公園も、じゃあだいぶ変わりましたか?
和田:まあ、だからね、俺自分で今思うんだけどさ。もしここが東京都の土地じゃなくて、砧公園や清掃工場じゃなかったら、俺んちの土地が残ってるわけだよ。そしたら俺、多分人生変わったんだろうなと思って。だからまあ、しょうがない。これはもう東京都の都市計画の中に入っちゃって、立ち退き要求されたからそうなっちゃった。他の地主さんたちは(砧公園の)あっち側にいるから、まだ土地いっぱい残ってんじゃん。でも、うちはもう全部持ってかれちゃったから。
ーー:あ、そっか。砧公園側だから。
和田:そうそうそう。全部持ってかれちゃったから。だから、時代のそういうもんだよね。たまたま運が悪かったのか良かったのかよくわかんないけど。
ーー:でも環八を1つ超えただけで、結構人生が変わるって話ですね。
和田:そうそう。だからもし残ってたら、多分ゴルフの練習場か何かやってるか知らないけど、そこそこの敷地があったからね。多分人生は変わったんだろうなと思うよね。
ーー:なるほど。なんか人生面白いですね。それで変わっちゃう世界線がある。
和田:環八と清掃工場で変わっちゃった人生だよね。
ーー:いや、これタイトルができましたね(笑)。
和田:だからま、変わっちゃった人生かはよくわかんないけど。いいか悪いかは置いといて。ただね、今さ、皆さんの憩いの場になってるんだからいいんじゃないの?
ーー:いや、すごい。いや、もう素晴らしい。ありがとうございますってみんなもうね、砧公園に来る人たちは和田さんにお礼を伝えた方がいいと思う、本当に。
和田:そういやあれだよ。土地売った時は長者番付乗ったらしいんだよ。
ーー:いや、そうでしょ!そんな広大な土地。そっか。そんなに価値があったんですね、この土地。
和田:すごい大きかったっつってたよ。
ーー:あ、そっか。農地だったんですもんね。
和田:農地だから。多分、今の清掃工場全部と、この辺の一部まで。
ーー:この辺からあっちまで全部ってこと?すげえ!この売店あたりから。
和田:そうそう、この辺から全部。
ーー:うわあ、すげえ。もう俺ら和田さんの土地で遊ばせてもらってるって、ちょっと認識した方がいいね(笑)。あっち側はどうですか?ファミリーパークの方。
和田:あっちはゴルフ場だったの。
ーー:あーそうか。東急の。
和田:で、清掃工場はもう長者番付乗ったから、横島さんあたりに聞くと知ってんだよ。「お前は途中から金持ってたんだ」っつってさ(笑)。笑い話言うんだけどさ。ま、でもさ、そんなんでうちの親父が早くに死んじゃったから、結局また相続になっちゃって残った財産持ってかれたり、どんどん相続が重なってて。おばあちゃんもすぐ亡くなっちゃって、もうバンバン相続税で持ってかれて、手放して。。
ーー:そうね、現金化しないとしょうがないですもんね。和田さんには残らなかったんですか?
和田:俺はもらえないよ。だって親父の兄弟いるじゃん。おじいちゃんが死んで、今度親父の兄弟たちで分けるじゃん。俺んとこ来ないよ。だからもう結局はどんどんそうなってっちゃってさ。俺もそういうの見てるし、たまたま子供いないから、これは土地持っててもなんかの時めんどくせえだろうと思って。だから固定資産じゃなくて流動資産に移しちゃった。
ーー:うんうん。
和田:そうするとそっちの方が管理しやすいじゃん。だから不動産じゃなくて動産に資産を動かしちゃったんだよね。だからちょっと用賀は離れちゃったんだけど。
ーー:今はお住まいが瀬田。
和田:瀬田。瀬田と、あと高崎。うちのカミさん(奥様)の実家なんだよ。群馬の。新井君なんか知ってるけど、俺んち結構でかかったんだよ。上用賀の。
ーー:はい、庭でバーベキューとか誘っていただいて。
和田:そんでもうちのカミさんが「掃除すんのやだ!」っつってさ(笑)。大きいうち住むんだったらやっぱり、お手伝いさんがいて全部掃除してくれて、庭の掃除もしてくれて、それでやっと快適な生活が送れるんだっていう。
ーー:庭の手入れって、大変ですもんね。
和田:発狂するよ、俺なんか。だから庭なくなったからすげえ楽だ今。前は芝生の管理だけで恐ろしかったからね。
ーー(新井):広かったですもんね。
和田:そうそう。だからやっぱり、そう考えると贅沢ってのはさ、金かかるようにできてんだよ。車でも何でも。
ーー:そっかそっか。
和田:だから結局そこそこでいいんだよ、もう。
ーー:本当そうですよね。
和田:うん。贅沢ね、ある意味敵なんだよ。やっぱりいい服買えばそれなりに手入れ大変だし、クリーニング出したら金かかるし。いい車買えば部品代高いしさ、ハイオクだし。ブレーキだって金かかるしさ。何でも金かかるじゃない?で、結局いい家持ったって掃除したり手入れしたり金がかかる。だからやっぱそこそこでいいんだよ。俺は最近すごいそれ感じる。ま、正直なとこちょっと贅沢した部分あったね若い頃は(笑)。
ーー:いや、ちょっとどころか、乗ってきた車がすごかったですよ(笑)。
和田:うん(笑)。だからあの贅沢した部分あったけど、それはやっぱりえらい金がかかるよねと思った。それでだんだん勉強してくんだよな。遊んだからこそ、一旦それで完了するというか卒業するみたいな。俺よく食べ物もいいとこ食いに行ったんだよ。そうすると自分の中で値段の価値が分かるわけだ。「この値段出してこれは納得」だけど「これより安くていいもんあんだろう、その代わり雰囲気が良いだろう」とかさ。やっぱそういうんで自分の中で店のランクがつけられんだよ。
ーー:それはやっぱり印刷の営業のお仕事の関係とかで結構行ったんですか?
和田:いや、俺は趣味。
ーー(新井):あ、でもね、和田さん本当にグルメだから色んな食について精通してますね。食べログより和田さんの「ワダログ」みたいの作った方がいいんじゃないかって思うぐらい(笑)。
和田:俺、三ツ星レストランとかも相当行ったよね。レフェルヴェソンスとか、カンテサンスとかさ、ロブションとかさ。
ーー:えー、全然わかんない。
和田:それの狙いは、お姉ちゃん誘いやすいんだよ(笑)。だから、それであのよく行ったんだけどね。
ーー:カッコつけるために(笑)。
和田:そう(笑)。カッコつけちゃったよなー。見栄張りすぎたんだよ(笑)。

ーー:用賀の商店街の方々の生き方とか考え方と、地の人、特に農家をやられてた方々の考え方の違いとか、やっぱり僕らの世代って全然わからないんで。僕らからするとみんな「用賀の重鎮」っていう感じだったんですけど、全然また違う世界を生きてこられたんだなっていうのが。
和田:だからよくわかんない。士農工商って言葉があるけどさ、やっぱり要は上用賀の農家の自宅に勝手口っていうのはそういうことだよね。御用聞きで回ってくるからね。商人の人にするとすごい失礼になっちゃうから言わないんだけどさ。
ーー:なるほど。
和田:ただまあ、エバッてるのも多かったなあ、上用賀はね。「お前が来い」と、そういう感じ。勝手口の文化なんだね、それ。クリーニングも、別に農家じゃなくたってみんな上用賀の人たちのところへ結構行ってたんだよ。みんな御用聞きで回すんだよ。
ーー(新井):そうか。だから商店街の人は、昔はよく上用賀をバイクで走り回ってたんだ。
和田:そうそうそう。当時、だから僕の生まれた頃はちゃぶ台の世界だよ、生活が。だけど、ちょうど俺が小学校ぐらいになってくると団地ができ始めるんだよ。団地ができると机と椅子の生活に変わるわけだよ。
ーー:あー、なるほど。
和田:で、小学校4年生の時に「馬事公苑ハイム」ってのができたんだよ。あそこに来るのがさ、みんなオランダから来たとかドイツから来たとかさ。外交官っていうか、外資系の会社の。
ーー:へー、なるほど。
和田:で、もうえらいかっこよく見えてな。だから上用賀1丁目、今の馬事公苑の新井の実家があった辺り、あれは結構高級だったんで、当時は。ちょっとハイソサエティの雰囲気で。
ーー:うんうん。
和田:で、あの当時だからすごい、俺の成田って友達が家の中で「黒豹」飼ってたんだよね。
ーー:え!?黒豹!?それ団地で飼ってるんですか?
和田:うん。馬事公苑ハイムで飼ったんだよ。あの中って当時は2階建て(メゾネット)になってたんだよ。11階建ての。当時はすごいハイソだった。で、黒豹飼ってんだよ。びっくりしたよ!
ーー:めっちゃ面白い!猫代わりだ。
和田:当時は飼えたんだろうね。オランダから来てさ、家の中で黒豹飼ってんだよ。すっげえおっかねえんだよ。でかい猫だよ。俺子供心におっかなかったもん。黒豹3匹飼ってたんだよ。肉屋が肉を届けてるっつってさ(笑)。
ーー:3匹!?生肉ですかね(笑)。うわ、危ねえ。
和田:今考えてみるとね、おっかねえ。手がすげえでっけえんだよ。
ーー:どのくらいのデカさなんですか?
和田:多分こんくらい(ジェスチャー)。痛いよ多分。あれどうなったんだろうね。今考えてみるとね。
ーー:すげえ。面白い時代だな。ワシントン条約の前ですかね。
和田:すごいよ。いくらしたんだろうね。ほんと黒豹はびっくりしたよ。
ーー:なんか、用賀も結構こう 4、50年だいぶ変わったと思うんですけど、今和田さんは用賀でどんな活動とかお仕事とかされてます?
和田:用賀商店街の活動してるよね。あと俺、納貯(のうちょ)ってのやってる。玉川納税貯蓄組合っていう。
ーー:ああ、はいはいはい。
和田:あの、この前来てもらったでしょ?
ーー:税務署の活動のやつですよね?うんうん。
和田:やりたくねえんだけどね(笑)。
ーー:パーシモンのお仕事は?
和田:パーシモンはね、用賀ではね、商店街の仕事はさせてもらってる。うん。うん。でもパーシモンとしては用賀のお客さんはあんまりいないかな。用賀には。うん。溝の口とか。身代わり不動尊って知ってる?あそことかうちのお客さん。
ーー:へえ。
和田:あと桜神宮。桜新町の。
ーー:おお!あの、最近有名な。御朱印が有名ですけど、あれって全部?
和田:うん。うん。あそこうち。あの御朱印全部やってんだよ。桜神宮、なんか今すごい有名になってて、なんか流行ってるんだよね。外人がインスタでバンバンあげてくから。
ーー:へえ、そうなんですね。
和田:用賀は、ま、理事長のおかげで本当に、玉川地区は顔が広くなったね、はっきり言って。
ーー:おお。
和田:やっぱりほら、税務署管轄の団体やってるじゃない。納貯とか法人会とか、どっかでみんな繋がってんだよね。
ーー:そっかそっか。
和田:法人会、納貯、商店街、間税会とかさ。本当、行きゃ誰かに会うみたいな。
ーー:なるほど。
和田:だいぶ名前は覚えてもらったんじゃないかなと思うんだけど、ま、なかなかそっから仕事取るのは難しいよな。だから税務署のはずっとやってるね。「玉川納貯」ってのは、やめられねえんじゃねえかってね(笑)。
ーー:あ、やめさせてもらえないんですね(笑)。
和田:後継者として新井君とかに声かけてんだけど、嫌がってんだよね。いや、嫌がってないか(笑)。
ーー(新井):(笑)。
ーー:じゃあちょっと、奥様との出会いとか良かったら少し聞いてもいいですか?
和田:奥様は、だから、あの、俺が印刷関係やってたでしょ。元々あの昔スーパーのチラシとかあったのよ。あれの下着のモデルだったんだよ。
ーー:ええ!
和田:そんでまあ要は人物の撮影って、物撮りと違ってさ、結構大変で時間掛かるわけよ。そんでまあ知り合って。まあ、嫁さんは俺がしつこかったんじゃないかと思うけど(笑)。
ーー:モデルさんに声かけて、素敵ですね。
和田:で、まあご飯食べたりなんだかんだしてるうちに「結婚しようか」ってなって。でも「どうしてもアメリカに行きたい」って言ってさ。「じゃあ1年間待つよ」っつってさ。
ーー:アメリカに行きたいっていうのは勉強で?へえ。なんてロマンチック!1年間待ってるよ、と。
和田:あの当時インターネットも何もないからね。今からもう30年以上前だよね。本当にエアメールだよな。
ーー:アメリカのどちらに行かれたんですか?
和田:アリゾナ。
ーー:和田さん会いに行ったりは?
和田:行かなかった。ま、1年だから。そんで帰ってきて、高輪プリンスで結婚式した。
ーー:おお、すげえ。
和田:高ぇよな。当時はレストランウェディングとかがまだなかった時代で、「結婚式はしなきゃいけねえ」みたいな感覚だったじゃん。「なんでこんな高いんだよ!」ってさ。給料全部飛ぶじゃない。だって500万とか600万かかったよ、当時で。
ーー:本当にそうですよね。いや、当時すげえ。今より全然高いし、選択肢がない感じ。
和田:そうだよね。もう勘弁してくれよと思ってさ。
ーー:いやなんかすごいな。アメリカからの帰りを待ってるって、ロマンチックだ。
和田:浮気しなかったけど、遊びには行ったよ(笑)。
ーー:いやーなるほどね(笑)。

ーー:じゃあこれからちょっと未来の話というか、今後なんか用賀の街に、こうなってほしいなとか、ご自身でこんなことやっていきたいなとか。
和田:用賀はね、まあ正直もう年齢も年齢だからね。ただ、やっぱり僕がこうやって生まれ育った街だからね。やっぱり用賀はまだ農地がいっぱいあるでしょう。あれがまあみんな住宅になっちゃうのはちょっと寂しいんだけどね。ま、だけどしょうがないよね。
ーー:そうですよね。
和田:これはただ、用賀は本当に昔に比べたらもう堂々と「用賀に住んでる」って言える街になったね。昔は馬が走ってんだって馬鹿にされてさ。今は東急のおかげと商店街のおかげなんだろうね、色々ね。
ーー:めちゃくちゃいい街ですよね。
和田:こういう緑がいっぱいあるし、砧公園とバランスがちょうどいいでしょ。やっぱりいい街にしていきたい。
ーー:はい。
和田:ただ、いい街にするってことは、やっぱり住む人も固定資産税がどんどん上がるからね。これからはやっぱり街に協力する人が増えて欲しいな。所得が高い人が増えて、変にプライドとか態度がでかい人が来てもさ(笑)。例えば消防団とか商店街とか、地域の地道な活動にやっぱり来てくれる人が欲しいよね。
ーー:そうですよね。
和田:この前たまたま交通安全運動の講習会が商店街・町会主催であったんだけど、テントの中入んねえでさ、文句ばっか垂れてるやついるんだよ。「じゃあお前手伝えよ!」と思ってさ。でも、まあ俺が町会手伝うの大嫌いだったから人のこと言えねえけど(笑)。
ーー:いや、それは若かったからっていうのもありますよね。
和田:これはすごい思う。だから若い頃はね、もう町会行たくねーとかすごい嫌がったけど。今考えてみると、やっぱり俺もっと若い頃ちゃんとやっとけばよかったんだろうなと思うけどね。目黒になんか逃げないで(笑)。
ーー:逆に、その経験があったから、外を見るっていうのも大事ですよね。
和田:外見るの、大事だと思うよ。だから僕らが用賀の店見てても、やっぱり俺、結構色んなお店で食ってきたじゃない。だから用賀でも「この店だったらこれでいいな」っていうのが自分の中で判断が効くんだよね。
ーー:なるほど。
和田:あとはそうだね。本当は新井君たちが一生懸命やってるように、そういう人たちが増えて、新井君のやってるのは俺すごい賛成なんだよ。結局みんな町会とか手伝わなくなってくる、商店街だって担い手がいなくなってくる。そうすると「文句言うんじゃなくて手伝ってくれよ」っていうのが我々からすると声を大きくして言いたいわけ。
ーー:いや、そのとおりですよね。はい。
和田:だけどそれは例えば「商店街に加盟してなきゃダメだ」とか「このエリアに住んでなきゃダメだ」とか「町会の地主じゃなきゃダメだ」とかさ、そういうんじゃなくてさ。やっぱり誰でも手伝えるような環境が欲しいね。俺は新井君の考えはすごい好きなんだよ。その枠に縛られてないから。
ーー(新井):ありがとうございます。
和田:俺はすごいそれを共感してる。で、たまたまそこに立場があればいいから。俺が「玉川納税貯蓄組合」とかよく言うじゃない。そうするとやっぱり全然違うんだよ、見られ方が。どっかの役やってるっていうと、やっぱり肩書きってある意味大事じゃない?名刺交換しました、一番最初会社の社長の顔だよね、それと一緒でさ。
ーー:肩書きは分かりやすいですよね。
和田:だから新井君みたいなのが、そういう地域の顔役として立ってくれたら俺はいいなと思うから推薦したんだよ。ただ税務署は、みんな嫌うからさ(笑)。俺だってやだ、はっきり言ってやだ。しょうがねえからやってんだよ。一番みんながやりたがらなそうなところを(笑)。だから商店街は役割分担みたいなのがある。うん。消防署は長谷川さん。
ーー:うん。うん。
和田:で、商店街の古いのは鳥井さんがやってる。で、税務署は俺が担当なんだよ。
ーー: なるほど、なるほどね。でも、そうやって行政とも繋がるんですね。担っていただいてる感じが(笑)。ありがとうございます。
和田:そう、いやだよ(笑)。ただね、こうやって商店街入ってみるとやっぱり、1個だけ残念なのが、俺の同い年で用賀で商売してる人が誰もいないんだよ。同級生が。
ーー:へえー。
和田:みんなやっぱり出て行っちゃったのかよくわかんないけど。俺の年代が誰もいないんだよ。商店街入った時に「え、誰もいないんだ、俺と同い年って」一番嫌だよね。みんな中学の先輩だから、いつまで経ってもペーペーだっつって(笑)。
ーー:怖いですね、先輩後輩って感じで(笑)。
和田:だからまあ商店街すごくバランスが良いんじゃん?理事長が一番トップにいて、真ん中層がいて、その下に俺がついてるみたいな。そこに新井君とかいるじゃない。だからまあ俺は新井君とか松井君とか、あの辺が頑張ってってほしいな。だって俺だっていつまでできるかわかんないもん。もう65だぜ?
ーー:そっか(笑)。
和田:だから用賀は本当に、新井君の団体がでかくなってくるのが一番いいけどね。だって用賀の好きな人が集まればいいんだから。これすっごいいいことだよ。俺はものすごい大賛成してるよ。そういう枠にとらわれないでさ、できるわけじゃない。やっぱそれは大事だと思うよ。
ーー:ありがとうございます。頑張ります!いや、めちゃくちゃ面白かったです。なんか最後激励のメッセージまでいただけて。なんか逃げられない感じが(笑)。
和田:俺は逃げるからね(笑)。
ーー:じゃ、一旦ここで終わりとさせていただきます。ありがとうございました!
和田:ありがとうございました。
