YOUGA SPIRITS

用賀スピリッツ

2026/1/18

「12時前に終わったら記念写真」ブラック修業時代と、伝説の「もやし屋」ルーツ。用賀の元番長・目黒万也が語る「現状維持」の美学

中町通りにある豆魚菜「万さく」のオーナー、目黒万也(めぐろ かずや)さんにお話を伺いました。用賀の元「番長」時代のやんちゃエピソードから、過酷すぎた修業時代の「記念写真」の真実、伝説の「もやし屋」ルーツ、そして「ライバルだけど敵じゃない」という商店街への熱い想いまで。インタビュアー新井との「卓球台の裏」の思い出や、まさかの「用賀大豆栽培計画」も飛び出す、笑いと地元愛に溢れた収録の様子を、ほぼノーカットの全文記事でお届けします。(インタビュアー:武井浩三、編集:AI(notebookLM)、撮影:新井佑)

ーー:では、豆魚菜「万さく」のオーナー、目黒万也(かずや)さんのインタビューを開始します。「用賀スピリッツ」第1回ですね。

目黒万也氏(以下、目黒):お願いします。

ーー:最初は、万也さんの幼少期からお聞かせいただいてもいいですか? 生まれと育ちと。

目黒:自分は本当に用賀生まれ用賀育ちで、京西小学校に通って用賀中学校に行きました。どんなことをしてたかって言うとあんま覚えてないんですけど、とにかく3人兄弟の1番下でして、まあ、やんちゃだったと(笑)。

ーー:やんちゃ(笑)。それは兄弟皆さん?

目黒:1番上が1番まともだったかなと。で、本当に真ん中の兄貴を見て育って、まあ、本当になんか昔で言う「番長」みたいな……。

ーー:番長(笑)。

目黒:いや、今もあるのかな、番長って(笑)。ま、本当やんちゃでしたね。小学生の時からどちらかというとグループの真ん中にいるタイプではありましたね。

伊藤博文が名付け親? 京西小マウント

ーー:当時のこのエリアとか京西小とかってどんな雰囲気でした?

目黒:結構本当に、そのやっぱ外で遊ぶっていうことがやっぱ多かったかなって。空き地もありましたし。休みの日は公園行ったりとか、今みたいに家で遊ぶってことはほとんどなくて、自然と集まって外で遊ぶっていうのが多かったです。

ーー:確かに。道路で遊んでる子供とか、今はあまりいないですからね。

目黒:ま、車の交通量とかも増えたっていうのもあるでしょうし。街並みも結構変わりましたね。タスクさんは知ってると思うけど、用賀の駅ビルができてから随分変わったなっていう印象があって。

ーー:駅ビル、あれできたのっていつ頃でしたっけ?

目黒:あれできたの、30〜35年前くらいかな?タスクさんまだ生まれてないかも(笑)。

ーー:物心ついた頃、建ててるところは見た記憶がありますね。

目黒:なんか当時、建設中に「建物が高すぎると小学校に日が当たらなくなっちゃう」っていうんで、何階か下げる交渉をしたっていう手紙が来てたのをすごく覚えてて。「日が当たらないんだったら、あんなの建てるのかな」って子供ながらに思ってた記憶がありますね。

ーー:なるほどー。用賀中は、今と校舎って変わってないですか?

目黒:変わってないですね。全く変わってないです。京西小は昔からあります。あれ今140周年ぐらいじゃないですかね。

ーー:そうそう。あれですよね、PTAが日本で最初にできた学校ですよね。

目黒:あ、らしいです。あとあれですよ。京西小って伊藤博文が名前つけたんですよ。

ーー:え、マジですか? すげえ!

目黒:実はそうなんですよ。「すごいだろ」って、実はマウント取れるようになる(笑)。用賀小と京西小で。

ーー:今の子たち知ってるんですかね? それ結構「用賀マウント」取れますよね(笑)。

真面目に走る番長。指導者不在のサッカー部

ーー:中学でもサッカーをやられていたんですよね?

目黒:中学でもサッカーです。毎日、めっちゃ練習しました。毎日。

ーー:2回言いましたよ、毎日(笑)。

目黒:ええ(笑)。

ーー:そっか。なんか外周(ランニング)とかってあるんですか? この辺だとどこ走るんですか?

目黒:用賀中の周りを走るんですけど。

ーー:僕、外周ぐらい隠れるポイント見つけてます。

目黒:あそこないでしょ(笑)。

ーー:あるんですよ。卓球台が見えるところがあって、あそこにこう隠れて(笑)。で、みんなが走ってるのをやり過ごして、最後だけ真面目に走ってるふりをするっていう。

目黒:悪いなー(笑)。俺はちゃんと真面目に走ってましたよ。ゆっくりではあるけど真面目に。

ーー:へえー、さすが(笑)。

目黒:なんか自分の時、先生がコーチとしてやるわけじゃなくて、サッカー部は特に、先生とかもう、終わりと始めの時に声をかける程度で、指導者っていう観点ではなかったんですよ。でも強かったですね。

ーー:おー、強かったんですね。

目黒:各々がなんかもう、生徒だけで練習メニューとかも考えて。

ーー:すげえ。生徒だけで?

目黒:すごいですよね。自分は本当にサッカー好きだった時代で、「今日は天気が悪いから中止」って先生が黒板に張り出すわけですよ。でも「いや先生、今日やれるよ」って言って、勝手に「あり」にしちゃうとか(笑)。

ーー:すげえ(笑)。

目黒:あとは「試験1週間前だから今日から部活なしだよ」って言われても、「大会近いから先生、1時間だけやらせてください」って直談判したり。

ーー:すごい熱量だ。

目黒:ただ、指導者はいないんですよ。自分で各々メニュー考えて「今日はこれやって」っていうような感じで、もう本当独自で。

「なんで俺だけ?」ナショナルトレセンの凄さを知らなかった少年

目黒:で、これサッカーあるあるというか、ちょっとネタにしたいんですけど。すっげえサッカー好きだったんですけど、中3の時に怪我をしちゃったんです。成長期に陸上の高跳び選手とかもやっていて、膝の関節を結構駆使しちゃってたんで、膝を悪くしちゃって。 それで中3の進路が決まっている時期に、僕のところにだけナショナルトレセン(※選抜育成制度)の推薦が来たんですよ。俺だけ。

ーー:え、すげえ!!

目黒:超すげえでしょ? でも俺その時にナショナルトレセンのことを全然意味分かってなくて。凄さを。「なんで俺だけなんだろうな」っていうのはあって。 学校に手紙が来て、「目黒万也をナショナルトレセンに招待したい」みたいな。先生たちは結構浮かれてたんですよ。「おーい目黒すごいぞ!」って。

ーー:大ニュースじゃないですか。

目黒:でも俺はあんまり分かってなくて。膝の状態も悪かったから結局行かなくなっちゃったんですよ。 それが、後の日韓ワールドカップの時にテレビ見てたら、フランスにスワンっていうジュニアの選抜があるらしいんですけど「日本にもナショナルトレセンという育成チームがあります」ってテレビで言ってて、その時に初めて「あ、すごかったんだな」って気づかされました。

ーー:後から気づくパターン(笑)。

目黒:行っていた時はスポンサーさんから毎回スポートドリンクが提供されてて、休憩中に「自由に飲んでいいぞ」って言われてたんですよ。

ーー:待遇いい(笑)。

目黒:うちらの部活の時なんか水筒持参ですから。「すげえ、飲み放題だ」とは思ってたんですけど(笑)。その凄さを知ったのが本当にもう10年ぐらい経ってからっていう。すごい後悔しましたね。

日体荏原での挫折と、卒業間際の「図書券」

ーー:高校はどちらでした?

目黒:高校は日体荏原(日本体育大学荏原高等学校)という、日体大の付属に行きました。大田区の「矢口渡(やぐちのわたし)」っていうところです。当時は男子校で、スポーツ全般が強い学校でした。

ーー:規模はどれくらいなんですか?

目黒:1学年8クラスくらいの40人ぐらいのクラスで全員男子(笑)。みんなスポーツができる子が集まってくるような環境でした。自分もサッカー推薦みたいな形で行ったんですけど、膝を怪我して部活は1年の時に辞めちゃったんですよ。

ーー:ああ、、そうなんですね…。

目黒:それでちょっと道を外したというか、やさぐれた時期があって(笑)。

ーー:やさぐれた!?(笑)

目黒:だいぶ(笑)。でも学校だけはちゃんと行ってたんですよ。 で、高3の時に、もう本当、今まで俺1回も勉強とかしたことなかったんですよ。試験前とかでも全く。でも、高3の最後の最後、もうみんな進路も決まってるような時期に、なんか「今までどうしようもなかったから、そん時だけちょっと頑張ってやろう」と思ったんです。

ーー:最後の最後に。

目黒:そう。授業も真面目に受けて。そしたら、今まで40人クラスで40番とか37番だったのが、頑張った結果、上から10番目ぐらいになっちゃって。

ーー:お、すごい!

目黒:そうしたら、先生が学級新聞みたいなやつで、「みんな進路も決まって勉強なんかする必要ない中で、最後に頑張った子がいるんで発表したい」って言って、俺の名前を挙げてくれたんです。

ーー:おお!

目黒:それで図書券をもらって。

ーー:うわ、なんか感動的な話ですね。

目黒:そう。ずっと何もしてなかったけど、最後だけはちょっとやろうかなっていう気になったっていう。それが高校時代の思い出ですね。

料理人の傷跡にシンパシーを感じて

ーー:高校卒業されてからは?

目黒:新宿にある調理師専門学校に行きました。高校生の時に用賀の「大手の和食レストラン企業(以下、A)」で皿洗いのバイトをしていて、そこで料理人の姿を見て「かっこいいな」と思ったんです。

ーー:それはやっぱりご実家がお豆腐屋さんだったっていうのはあるんですか?

目黒:ああ、そこはまだあんまり関係なかったかもしんないですね。 なんか、その当時の料理人たちって、結構やっぱり過去に傷を持ったというか、やんちゃしてた人も多くて(笑)。本当、大学卒業してる人なんか一人もいないですし、中卒高卒で料理の道を目指した人ばっかりだったんで、なんかすげえ環境が似てるなって思っちゃったところがあった。

ーー:シンパシーが。

目黒:シンパシーが(笑)。 で、専門学校卒業していずれ「A」に入りたいと思ってたんですけど、最初はフリーターとして「A」で3年間ぐらい働いていました。でも結局、社員の人たちを見ていて「やっぱりバイトだと越えられない壁があるな」と感じて。 一度他の店を見てみようと思って、自由が丘にある「藪伊豆(やぶいず)」というお蕎麦屋さんで3年間修行しました。

ーー:お蕎麦屋さんに行かれたんですね。

目黒:自分、そこの蕎麦が一番美味しいと思っているんですけど、駅のロータリーにあったお店で。今は開発でなくなっちゃったんですけど、ビルができたらまた入ると思います。そこで蕎麦をやったのも、自分のキャリアの中ではすごくいい経験になりました。 で、そこで改めて「A」に就職したんです。

用賀、宮前平、等々力。そして「目黒のお店」の恐怖

過去を振り返りたくないと語る万也さん

ーー:そこからが大変だったと。

目黒:大変でしたね。もう26、7歳だと飲食では中堅なんで、「人の3倍やらないと追いつけないよ」と言われて、本当に死に物狂いでやりました。

ーー:その時は、職場はどちらだったんですか?

目黒:用賀です。

ーー:あ、用賀のあそこ! あそこで。

目黒:そう。用賀からスタートしたんですけど、もう朝6時に行って、先輩たちが来る前に魚とか下ろして。誰も手伝ってくれなかったんで(笑)。

ーー:誰も(笑)。

目黒:「3倍やらないといけない」っていうのにもう洗脳されてたんで(笑)。で、夜は12時、1時まで営業して、家に帰って3時間寝てまた出勤する……そんな過酷な日々でした。 今は「A」も働き方改革されていると思いますが、当時の飲食業界はハードワークが当たり前でした。

ーー:飲食に限らず、その頃って長時間労働が美徳みたいなところもありましたよね。

目黒:で、それで用賀から今度、宮前平に異動したんですよね。

ーー:ああ、宮前平。はいはい。

目黒:宮前平に行っても、やっぱりあんまり環境は変わらなくて。用賀よりは売上的には暇だったんですけど。ま、でも「A」に限らず、当時の飲食業界っていうのはこういうのが結構当たり前だったので。 で、今度、等々力(とどろき)に来たんです。

ーー:ほう。

目黒:今もうお店ないんですけど。ま、そこで今の嫁と出会いまして。

ーー:へえ! そうなんですか。お店で。

目黒:お店で。はい。

ーー:ええー。

目黒:ただ、等々力に来たことによって、目黒のあるエリアに、お店があるんですよ。「A」のグループ店が。

ーー:あるエリア。。。

目黒:そこはもう、他の店舗にいるうちから「あそこの店舗はやばい」と噂されているようなお店で(笑)。

ーー:何がやばいんですか?(笑)

目黒:当時のあの店舗は、普通ならありえないんですけど、仕事が夜12時前に終わったら「記念写真を撮ろう」って話が出るくらい忙しい店で。

ーー:記念写真(笑)。記念に?どういうこと?

目黒:「今日は12時前に終わったよ!」ってことで(笑)。

ーー:証拠ってことですか?

目黒:もう、証拠というか(笑)。

ーー:これ記事にできるかな?(笑)。

目黒:まあ、飛ばしてくれれば(笑)。で、目黒のそのお店が転勤で近づいて来たわけですよ。嫁には出会いましたけど、「そのお店に近づいたな」ってことが一番恐怖だったんです。恐怖で仕方がなくて。

ーー:近づいてきちゃった(笑)。

目黒:そう。それで、次の職場が、まさにそのお店になっちゃって。

ーー:なっちゃったんですか!

目黒:なっちゃった(笑)。それがもう29、30歳くらいの時でしたかね。そこは本当にちょっと別格でしたね。同じ会社なのに店舗によってこうも違うのかって思ったのが、ま、そこだったと。何度も言いますが、ハードワークは当時の話なので、今は改善されていると思いますよ。でも、あの経験があったからこそ今があるなと思います。今がどんなに辛くても「あの時の方が辛かった」と思えるので。

「用賀で一番偉い人に会わせてくれ」 先代が繋いだ縁

ーー:そこから実家のお豆腐屋さんを継いで「万さく」を立ち上げるわけですが、お父様はどういうルーツの方なんですか?

目黒:親父は戦時中だったんで生まれは朝鮮とかで、そこから新潟に行って、用賀に来たんですけど。最初は豆腐屋じゃなくて「もやし屋」だったらしいです。

ーー:もやし屋!? 初めて聞いた(笑)。

目黒:でもまあ、大豆ですよ。大豆。でもなんか、その当時「もやし屋じゃ全然儲からない」って(笑)。

ーー:いや、もやし安いですもんね。20円とかの世界だし。

目黒:当時なんて単価数円とかだと思うんで。だからそれはやめて、豆腐屋にしたっていう話は聞きました。

ーー:へえー! 大豆のルーツ面白いなあ。

目黒:あと、母親の実家も豆腐屋なんですよ。

ーー:えっ、そうなんですか?

目黒:豊島区の東長崎っていうところなんですけど、そこも豆腐屋で。だから豆腐屋同士のお見合いで出会ったらしいです。

ーー:すごい、両親ともに豆腐屋の家系じゃないですか。

目黒:そうなんですよ。だから実は豆腐サラブレッドなんです(笑)。

ーー:間違いない(笑)。

目黒:で、タスクさんと出会ったのも、うちの親父だと思うんですけど。

ーー:そうなんですよ。

目黒:あの時商店街の理事長やってたのが、本当にたまたまうちの親父だった。2年間だけ理事長をしていたんですよ。

ーー:え!2年間だけだったんですか!?

目黒:仕事と豆腐屋との両立がやっぱり大変だったみたいで。

ーー:そっか。

目黒:「(理事を)続けてくれ」っていう話もありましたけど、やっぱりちょっとできないっていう風になって。豆腐作りも結構朝早かったりですね。給食とか病院とかに卸してるのがあったんで、やっぱ10丁とかそういうレベルじゃないんですよね。

ーー:なるほど。

目黒:でも本当にタスクさん、よくうちを訪れてくれたなと思って。

ーー:いや、僕よく色んなとこで話すんですけど、親父さんとの逸話があって。「用賀で一番偉い人のところに連れてってください」って街の人に聞いたんですよ。

目黒:はい(笑)。

ーー:で、その街の人が「そこのお豆腐屋さんに行きなさい」って。

目黒:はい。それでうちに来たんですよね(笑)。

ーー:うん。本当に先代のおかげなんですよね。

目黒:うん。

ーー:ね。それで用賀サマーフェスティバルがね、第1回目が立ち上がったわけで。あの場所を借りるのにすごく奔走していただいて。

目黒:うん、うん、うん、うん。あの推薦とかね、なんか。

震災を機に創業。32歳の葛藤

ーー:なるほど。で、この「万さく」が生まれたきっかけ、前にもお伺いしたことあったと思うんですけど、あの3.11の時に……。

目黒:はい。そうですね。本当に実家が古いお店だったんで、やっぱそこで結構、ま、壁とかも崩れちゃって。

ーー:ああ、じゃ結構被害があった。

目黒:被害があったんですよ。

ーー:ああ、懐かしい。そう、元々ご自宅とお店がくっついていましたよね。

目黒:そう、そうです。

ーー:なんか買うところのちょっと横を見ると、お座敷じゃないけど見えてね、サザエさんに出てくるような昭和なお店屋さんな感じ。

目黒:もう本当に昔の。

ーー:いいですねえ。

目黒:そう。で、それで実家を立て直そうっていう話になって。で、自分その当時は「A」にいたんですけど、ま、「1階部分でお店をそのままやらないか」と、母と父からその打診されて。

ーー:その、お兄様お2人は?

目黒:いたんですよ。しかも長男はあの車の自動車の整備士やってて。で、真ん中は豆腐屋で配達をしてたんですよ。

ーー:おお、本当に。

目黒:豆腐に携わってたのは実は真ん中の兄貴だったんですけど、ま、その「1階部分を、やってみないか」と自分(万也さん)言われて。 その時は本当にまだ、32歳とかだったんで。「あの、そんなのできない」と。

ーー:うん。

目黒:自信がなかったんで。

ーー:ああ、最初は。

目黒:うん。で、それで、ま、しばらく保留にして。 でもそれでも、「あの1階部分を誰かに貸してしまうと、あなたがもし『いずれやりたい』っていう時に、そこがうまくいってたら『いきなりどいてくれ』とは言えない」と。

ーー:おお、なるほど。テナントの権利的な。

目黒:「だったら、ま、最初からやった方がいいんじゃないか」っていう後押しをされて。

ーー:うん。

目黒:それで、創業したっていう感じですかね。

ーー:そっか。そっか。それが2011年?13年?。

目黒:そうですね。3.11が2011年だから建て替えは2013年とか14年ですね。

ーー:あ、じゃあもう、結構3.11の後すぐ出店準備されて、すぐ?

目黒:はい。そうです。はい。

ーー:ああ、じゃあ結構バタバタというか急ぎで。

目黒:まあ、そうですね。うん。急ぎでやりましたね。

ーー:なるほど。お店のコンセプトは?

目黒:コンセプトはそこからもう変わってなくて。やっぱり実家の「豆腐」を使った料理と、あと嫁の実家が魚屋さんだったっていうのがあって。魚の仲卸(なかおろし)なんで。

ーー:ええ!?

目黒:はい。ま、そこからこの仕入れた魚と、あとは豆腐のコンセプトで、やっぱ「豆魚菜(とうぎょさい)」っていう屋号をつけてるっていうのがあるんですけど。

ーー:なるほど。え、奥様も料理をされる?

目黒:うんと、しないですね。どちらかといえば。ただ本当になんか、嫁の実家は本当になんか毎日魚が家には出てきてたっていう。うちもやっぱり豆腐屋だった時は、やっぱり豆腐はもう毎日食卓に並んでましたけど。

ーー:へえ。え、奥様はどちらの方なんですか?

目黒:中町(なかまち)なんですよ。

ーー:中町ってここの?

目黒:はい。そう。中町。この中町通りをちょっと下った。

ーー:めっちゃ地元じゃないっすか!学区で言うと……。

目黒:そうですね。中町なんで、玉小、玉中(玉川中学校)です。

ーー:ああ、玉中。はい。はい。めちゃくちゃ地元だ。

目黒:そうなんですよ。

ーー:え、奥様はえっと少し年下?

目黒:そう。11歳離れてます。

ーー:そっか。そっか。へえ。なるほど。

「万さく」の由来と、実は毎日手作りしている豆腐の話

ーー:万さくっていう名前は何で「万さく」なんですか?

目黒:えっと、自分はあの目黒万也(かずや)の「万」が、1万円の万で。あとは「万也が作成する」の「作(さく)」をかけてるんですよ。「万」と自分の「作る」で「万さく」。

ーー:なるほど。

目黒:で、もう一個掛けてて、「マンサクの花」っていう、本当に道路の脇とかに咲いてる花があって、それが春に一番先に咲く花と言われてるんですよ。

ーー:へえ。

目黒:で、ま、その当時は、「一番になりたいな」っていうその思いから、そのマンサクももじってっていう感じですかね。

ーー:なるほど。お豆腐は(店頭で)売らないんですか?

目黒:すっごい言われるんすよ。「売ってないの?」って。ホントすっごい言われるんですけど、お店で食べてもらいたいなっていうのがあって。

ーー:なるほど。豆腐はお店で作ってるんですか? 今も。

目黒:そう、そうなんですよ。

ーー:すごい!

目黒:で、豆乳だけ仕入れてるんですよ。二子玉川にあるお豆腐屋さんから。

ーー:うん、うん。

目黒:で、やっぱあまりにも量の多い予約があるとかっていう時は、もちろん豆腐も仕入れたりはしますけど、基本的にはお店の豆腐は全部作ってます。

ーー:すげえ。豆腐は万也さんご自身が作ってるんですか?

目黒:そうです。そうです。

ーー:すげえ。

目黒:なので、お持ち帰りとかまでしちゃうと、やっぱそれなりに作る量もやっぱり増えてきちゃう。

ーー:そっか。そっか。なるほど。ちょっとオペレーション的にも。

目黒:そう、そうなんですよ。

ーー:え、豆腐作りは基本、あれは毎日になるんですか?

目黒:はい。そう。毎日になりますね。

ーー:すごいね。いや、これもう万さくの豆腐食べて欲しくなるね。いや、本当に確かに美味しいもんね。

目黒:いや、ありがとうございます。

ーー:僕、結構外から友人たちを用賀に呼ぶんですけど、あの、豆腐の唐揚げ食べて、「なんだこれ!?」って大ファンになってたりするんですよね。

目黒:なので、やっぱその「豆腐の揚げ立て」を知ったのは、やっぱ自分のその前身の実家が豆腐屋さんだったっていうのがすごく大きくて。

ーー:うん、うん。

目黒:ま、その豆腐の唐揚げとかもそうなんですけど、例えば厚揚げを家で食べるとなると、やっぱりね、普通はもう一度温めるわけじゃないですか。フライパンなりオーブンレンジなりで。

ーー:はい、はい。

目黒:その「直(ちょく)」で食べた豆腐の美味しさっていうのは、ちょっともうあまりにも、自分も小さいながらに結構衝撃を受けていて。「それを出したいな」っていうのがすごくあって。

ーー:うん、うん。

目黒:だからそこが今、やっぱり自分の土台になってるというか。

ーー:なるほどね。いや、ランチのあの「揚げだし豆富御膳」の厚揚げ、めちゃくちゃ美味くて。で、それでこの値段でいいの?って思うんですけど、値上げとかは。

目黒:えっと、今のところまだ考えてないです。

ーー:すごい。結構大盤振る舞いというか。

目黒:そう、そうです。フグの唐揚げとかも。

ーー:確かに、確かに。フグはじゃあの奥様のご実家と繋がってるから。

目黒:そうですね。卸しなんで。

ーー:いや、どうやってこのクオリティでこの値段やってんだろうっていうのはずっと謎だったんですけど、ようやく解けました。直(ちょく)でやってるからこそ、そういう経営努力の余地があるというか。

目黒:そうですね。


YSFキッズたちのアルバイトと、大人との「ナナメの関係」

ーー:なんか特にね、万さくさんとはなんか近い関係というふうに勝手に僕は思ってます。僕らが主催している用賀サマーフェスティバルの若いメンバーは、お店でバイトさせてもらったりしてますもんね。

目黒:そうですね。確かにめちゃくちゃバイト多いですね。

ーー:本当に。初期の頃のキャメロンとか池ノ辺崚とかもそう。

目黒:だから、本当に助かってます。

ーー:いやあ、いやいやもうこちらこそね。なんかみんなすごい距離を縮めてくれて。

目黒:そう。最近だとバッシーとか、りねん、最近京都に行った、なつみこも。

ーー:りねんなんて、もはや看板娘ですもんね。

目黒:りねんのすごいところは、やっぱりお祭りとか地域で大人と接してたんで、うちのお客さんとかにもすごく、こう、懐に入れるんですよ。

ーー:すごい!

目黒:すごい子だなって思っていて。本当に高校生ながらすごいなと思ってる。ポテンシャル高いから。

ーー:確かに YSF(用賀サマーフェスティバル)に関わってる子供たちって、結構小さい時から大人と一緒にやってるから慣れてるというか。

目黒:そう。すんごい慣れてる。そこは本当に素晴らしいなと思っていて。

ーー:いいなあ。僕なんかも、うちの長女が今12歳、小6で、去年(2025年)から用賀サマーフェスティバルの運営メンバーに入らせてもらっては、僕のいないところで大人たちとミーティングしに行ったりとか結構色々やってて。なんかすごいたくましくなったなと。

目黒:うん。うん。

ーー:やっぱり、今の時代って親以外の大人と何かするってすごく機会が減ってるように感じて。

目黒:うん。そうですよね。

ーー:だからいずれ娘が何かアルバイトをする時も、できたら、ま、もちろん何したいかっていうのもあるけど、チェーン店じゃなくて用賀のね、こういうお店とか商店街の地域のお店でやっぱり働かせてもらった方がいいなって。 チェーン店じゃ見えないものも見えるんじゃないかな。なんか人の営みとか、お客さんとのお付き合いとか。

目黒:そう、そう、そう。

「ライバルだけど敵じゃない」 用賀で飲み歩き構想?

目黒:ずっと前から思ってるのは、用賀で例えば同じ飲食のお店がいっぱいあるわけじゃないですか。商店街のグループに入ってるお店とか、お祭りに出てるお店とか。それはやっぱりあの、ライバルではあるんですけど、「敵ではない」と俺は思ってるんですよ。

ーー:ちょ、いま名言出た!名言!「ライバルだけど敵じゃない」。これ記事のタイトルになりそう(笑)。

目黒:(笑)。そう。ずっとそれはすごく思っていて。お祭りみたいなイベントがあると、みんな基本は商人なんで、損得をやっぱり考えがちなんですよ。

ーー:うん。

目黒:でもそれだけじゃないわけじゃないですか。だからなんかね、「これ今日余ったからどうぞ」とか、そういう関係とかにもなりたいし、「これちょっとお店で出していいですよ」みたいな、そういうのがやっぱり楽しいなと思っちゃうところあるんですよ。

ーー:うん。ただお客さんが来る来ないじゃなくて。

目黒:そういう、本当に、コミュニティみたいな、みんな、ま、ライバルだけど切磋琢磨していくっていう感じになりたいなっていうのはすごくずっと前から思っていて。

ーー:今、商店街のLINEグループあるじゃないですか。なんかあれですか、みんなで懇親したりとかしてます?

目黒:うん、ないんですよね。なんか昔、「水曜日を休みにして、地域で飲み歩こう」みたいな話があったような?

ーー:あー、あったあった! ひろみさん(QP’sオーナー)かな? 言ってたの。

目黒:そうそう。なかなか実現難しいですけど、そういうの楽しいなって思っちゃうところがあるんですよ。

ーー:そうですよね。本当僕らも、万也さんと飲みに行きたいなとかって思っても、やっぱり飲食って夜がメインのお仕事だったりするし、休みの日に声かけるのもちょっとなんか申し訳ねえなとか。

目黒:うん。

ーー:時間の制約で、かと言って昼飲みもね、夜に響くからできないし、みたいな。

目黒:そう、そう、そっか、そっか。

「現状維持」の美学。渋谷・新宿との違い

ーー:今創業から12年、13年経って、この間の変化とか、今後の展望とかってありますか?

目黒:ああ、でも本当にこれ以上でもなく、もう現状維持でいいかなっていうのがちょっとあって。

ーー:ああ、「現状維持」。かっこいい。

目黒:なんか新しいことやれば、離れていってしまう人ももちろんいるかもしれないんで。もう今本当にこの一番の理想は現状維持でいいのかなって。本当に来たいお客さん、来てくれるお客さんを守りたいっていうのがずっとあって。

ーー:なるほどね。

目黒:やっぱりメディアとかに乗っけたりすれば、絶対来るのは分かるんですよ。ネットに掲載するとか。でもそうするとやっぱりその「一見さん」が多くなっちゃうんですよ。 そうするとやっぱり常連さんが今度いづらくなってしまうっていうのがあるんで。今までのこの10何年間も常連さん作りでもう基礎を固めて、ここからあとは、新規の人よりはもうその今のこの現状維持で守っていきたいなっていうのがすごく考えていて。

ーー:うん。うん。なるほど。確かに渋谷とか新宿とかの居酒屋とは違いますからね、基本的には。

目黒:うん。そうですね。

ーー:お客さんは結構、年代層的に高めなんですか?

目黒:そう、そうです。落ち着いてちょっと一杯飲んでご飯食べて、やっぱそういうのが一番いいかなと。値段を下げれば、若い人たちが来るのは分かってるんですけど、それはしたくないなと思っていて。

ーー:なるほど。現状維持って深いな。いや、こういうなんかこれこそ地域のお店のあるべき姿というか。

子供たちに「今日は豆腐が食べたい」と言わせたい

ーー:やっぱりついつい外食行くってなると、うちなんかも子供小さいんで、油もんとか食べたいとかって言うんですけど、なんか俺もうちの奥さんももうちょっとそろそろ油の消化が追いつかなくなってきた年になってきて(笑)、「あ、やっぱ豆腐行きたいね」ってなるんですよね。

目黒:ありがとうございます。

ーー:でもこういうお店って、本当チェーン店じゃできないじゃないですか。あとなんか子供にちゃんとしたご飯を食べさせるというか。

目黒:これも結構目標があって。例えば、自分も子供小さいですけど、子供たちに「今日何食べたい?」って聞いたらやっぱり焼肉とかラーメンとかお寿司とかそういうの出てくるじゃないですか。 そこに自分のもう超夢なんですけど、「豆腐を食べに行きたい」って言わせたいんです。

ーー:おー! そこのジャンルを食う。

目黒:あの「豆腐」というジャンルを。なかなかハードルは高いんですけど、「今日豆腐食べに行きたい」って言わせたい。

ーー:なるほど。すごい。ジャンルにするっていい!洋食にしてもパスタ食べたいとかあるから、和食っていうよりはむしろ豆腐。

目黒:豆腐で、もうそれでいいんですよ。本当に。和食じゃなくて魚でもなくて和食でもなく「豆腐」を食べに行きたいって、そして来させたいっていう、超夢ですけど。

ーー:分かりやすいメッセージですね。すげえ、めっちゃいい話。豆腐めっちゃ体にいいですもんね。ちなみにこの厨房で作ってるんですよね?

目黒:そうそうそう。

用賀の街への期待と、入りづらい店への「入り口」

ーー:用賀の街の人に期待することとかってありますか? これから引っ越してきた方とか、今マンション増えてるじゃないですか。

目黒:今めちゃくちゃ増えてますよね。上用賀の方に。でもやっぱ、タスクさんもさっき言ってたけど、「入りづらい」っていうその概念を変えたいなっていうのはあるんで。

ーー:うん。

目黒:でも、ま、それをどうやったら入りやすくするかっていうのも、ちょっと考えないといけない。チェーン店じゃなくて、個人のお店構えてる人たちのお店に、入りやすくするにはどうしたらいいのかなって思ったりもしますし。

ーー:うん、うん。そうですよね。でもそういうのをなんか本当僕ら「neomura(ネオムラ)」ってコンセプトが「都会の村作り」なんで。新しく、特にこれから子育て世代増えるじゃないですか。そういった方々に、なんか入り口を作りたいんですよね。

目黒:うん。そうです。

ーー:なんかね、このメディアが1つそういう役割を担えたらいいなと思うし、だって今日みたいな情報、食べログに出てこないじゃないですか。

目黒:出てこないですね(笑)。

ーー:食べログって基本的になんか食レポみたいな。「お前どの立場だよ」みたいな(笑)。ま、もちろんそれはそれでいいんですけど。

目黒:そうなんですよね。

ーー:そうじゃないじゃないですか。街の魅力って。

目黒:でもうち結構子連れのお客様とかもやっぱり来られるんですよ。でもそれを良しとしないお客さんもやっぱ中にはいるんで。「お客さん同士でやっぱちょっとうるさいから席変えてもらっていい」みたいな感じもありますし。

ーー:万也さんはどっちに振りたいですか?

目黒:いや、自分は子供連れで来てくれた方が、ま、後々に繋がるかなっていう。もうやっぱりね、豆腐を食べてもらいたいって。 でも、年齢のいったご夫婦さんとか、中には気にされる方もいて。

ーー:「ファミレスじゃねえんだよ」と。まあ、それも一理ありますね。

目黒:そうなんですよ。難しいんですよね。どっちも取りたいけど。

ーー:なんか両方にちょっとずつ歩み寄ってもらえたら嬉しいですよね。やっぱり僕らも、消費者根性じゃないですけど、お客さんだから子供はうるさくしてもいいっていうのが例えばファミレスとかだと許容されちゃうじゃないですか。でも本来そうじゃない。お店って、お客さんも含めてみんなで作る空間だから。

目黒:うん。なんで自分本当オープン当初は子連れのお客さんが来るっていうのは絶対ないと思ってたんですよ。逆に敷居もちょっと入りづらいとは思いますし。 ただ昨今は、やっぱり子連れのお客さんが「子供1人いるんですけど大丈夫ですか?」みたいな感じで来てくれて、それがすごく嬉しいなと思います。

ーー:そういった方々はどういうきっかけで入ってくるんですか?

目黒:あ、でももしかしたらなんですけど、コロナからやっぱちょっと変わってきて、サラリーマンのお客さんが結構減ったなって思うんですよ、最近は。

ーー:あ、なるほど。はいはいはい。

目黒:逆に増えたのが、この辺に住んでるファミリー層、用賀に住んでる方、夫婦とかが逆に増えたかなって思うんで。

ーー:なるほど。確かに。僕らもチーム用賀の集まりとか、コロナになってからサラリーマンの方増えたんですよ。ずっと地元に住んでるけどオフィスに行かなくて、所属してるコミュニティがなくなっちゃったわけじゃないですか。

目黒:そうですよね。

ふたこビールみたいに、みんなで「大豆」育てよう

ーー:最後に、このメディアを通じて一緒にやりたいことというか……neomuraでは畑もやっているんですけど、豆腐って大豆じゃないですか。用賀で、大豆作りましょうよ。

目黒:あ、大豆作って……うちに納品してもらうとか(笑)。

ーー:それめっちゃいいじゃん! それをイベントにして、豆腐作りワークショップなんかもできたら面白いし。

目黒:いいですね。

ーー:なんかそういえば、二子玉川の「ふたこビール」さんも、ホップを街の人たちに配って、ホップを育ててもらって。ホップって比較的収穫しやすいから、取ったものを持ってきてもらって、みんなでビール作るみたいなことをやってるみたいなんですよね。

目黒:なんかできる。大豆。

ーー:用賀の街の人たちに大豆の種を配って、駅前とかで。「育ててください」って。

目黒:駅前で配って「豆、持ってきてください」ってね(笑)。そういうの楽しいですね。

ーー:すごいな。みんなで育てた豆を持ち寄って、万さくで豆腐を作って食べる。そういうのができたら、チェーン店ではできない、人の顔が見えるストーリーが生まれますよね。

目黒:いや、いいと思います。豆腐を作るということであれば、それくらい全然できちゃいますから。

ーー:いやだっておそらく、万さくさんが自分で豆腐作ってたのって知らない方も多分いるじゃないですか。

目黒:まあ、いますね。

ーー:「こんな手作りの豆腐屋さんが用賀にあったんだ」って。ぜひやりましょう。

目黒:お願いします。

ーー:用賀ワイワイコイン(地域通貨)の話も含めて、また小田垣さんとかにも相談しつつ、一緒にやっていきましょう。今日は濃いお話をありがとうございました!

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