
2026/2/6

用賀商店街振興組合の理事長、小林弘忠(こばやしひろただ)さんにお話を伺いました。 玉電が走っていた用賀の原風景、伝説の悪ガキ時代、香港での破天荒なビジネス経験から、これからの街づくりにかける熱い想いまで。2時間を超えるインタビューの全容を、ほぼノーカットの全文記事でお届けします。(インタビュアー:武井浩三、編集:AI(notebookLM)、撮影:新井佑)ーー:では「用賀スピリッツ」第3回。用賀商店街……、正式名称なんて言うんだっけ? 用賀商店街振興組合か。の理事長を務めております、小林弘忠(ひろただ)さんに、お話をお伺いしたいと思います!よろしくお願いします。
一同:はい。お願いします。
ーー:ではまず、小林理事長の生まれ育ち、どんな幼少期を、この用賀の町で過ごされたんですか?
小林:幼少なんてあの、偉そうに格好つけることもないんだけど(笑)。えっとね……昭和30年の3月にこの用賀で生まれて。ま、それ以来ずっと用賀に住んでて、用賀を愛するということでは、まあ誰にも負けないとは言わないけど、結構、そういう思いは強いね。
ーー:そっか。当時、用賀ってどんな町でしたか? 小学校の時とか。
小林:昔は、玉電車(玉電)ってのが走ってて。地下鉄の前。道路、地上を走ってて。それはもうね、用賀っていうのはものすごい人が溢れてた。
ーー:へえー。駅前とかですか?
小林:駅前、ここの大山街道なんていうのはバスが双方向で走ってたし。ここはね、人通りがすごくて。もう、今じゃ考えられない。今も結構人が増えてきたけどね、もっと賑わってた。
ーー:当時の人口はどのくらいだったんですか?
小林:人口はね、今ほどいないんだけど。まあ、ご存知の通り上用賀の方はみんな畑だったし、環八なんてなかったし。うん。
ーー:環八がなかった!?
小林:なかった。環八、私が中学校の頃だ。開通したの。だいたい商店街も、大山街道と用賀中町通りが……中町通りはね、砂利道だったんだよ。
ーー:お、砂利道だったんだ。逆に新しいですね(笑)。
小林:あんなバスなんか通ってないから。バスはこの大山街道が双方向通行だったんだよ。
ーー:あ、そっか。
小林:大山街道っていうのは246(厚木街道)じゃなくて、246の手前の用賀寄りの道。
ーー:今のここ? じゃあ、この細い商店街の通りのところ?
小林:はいはい。もう、バスが両方ですれ違ってた。
ーー: この駅前の道。おおー、そっかそっか。
小林:うん。で、ここの真福寺さんの表参道が、電車の駅に繋がってて。で、そこらが私たちの遊び場だった。

ーー:なるほど。じゃあ小学校は、京西(小学校)ですか?
小林:京西も、建物は改築前ね。京西小学校がね、またこれがすごかった。
ーー:おお。知りたい。
小林:うん。僕、小学校1年の時に校舎を移動したの。その校舎は、もうないけど。本当に校舎の下にコロを入れて。
ーー:えっ、コロを入れて? 建物を運んだってこと?
小林:建物をそのままの状態でこっちからこっちへ戻ってきた。
ーー:曳家(ひきや)したんだ!
小林:はい。はい。本当、業者がやるんだよ。本当に木材を下に入れて。そうそう。鉄筋の校舎は動かせないけどさ、木造をゴロゴロと。
ーー:おー!それ、街のみんな見てる?
小林:見ないよ、そんなの。見ない、見ない(笑)。だから俺たち、あの校舎は全然使えなかった。自分たちの体操の時間なんかも、どこ行ってやったかな? どっか行ってやってたんだよね(笑)。
ーー:(笑)。京西小学校ってあれですよね、消防署の前に跡地がありますよね。
小林:うん。その前はね、真福寺が寺子屋だったんだよ。
ーー:えーー。真福寺が寺子屋だったんだ。
小林:そう。140年前って言うと明治始まったばっかり……明治12年かな? 京西小が始まった。伊藤博文が名付け親でっていう。その時に、あの伊藤博文が用賀に疎開してたわけ。
ーー:そうなんだ。。
小林:やっぱほら、命が狙われてたから、その時にえっと鈴木虎之助さんっていう人がいてね。ああ。うん。記憶が定かであればね。鈴木虎之助だと思ったな。で、その人のうちにいたんで。
ーー:伊藤博文、用賀にいたんだ! 疎開してたんだ。これ初めて聞いた。
小林:うん。総理大臣だから。じゃあせっかくだから名前をつけてくださいよっていうことで、伊藤のところに行ったら……うん。じゃあここは東京の西の方だから、「京西」。ただ「京」、東京の「京」は京都の京に通じちゃうから、東京の京の「口」の部分の真ん中に1本入れて「日」にしましょうっていうことで。
ーー:えー。そんな逸話が!たしかに京西小学校の真ん中が「日」の看板というか、そういうやつ、あるよね?京都と分けるためだったんだ。
小林:小学校がこっちに移動してきたのが、うちの父親が6年生で、母親が1年生の時だったかな。
ーー:あ、校舎が今の場所に来たのが。
小林:だから何年だ? えっと、お袋は6歳、7歳だから、昭和14年か15年だよね。80年近くか。うん。うん。で、そん時に机とか椅子をみんな運んだんだって。
ーー:ええ。6年生だった親父がそういうのを運んだ。
小林:うん。うん。その頃の話は結構聞いたよ。そういう話を。

ーー:理事長のお父さんお母さんも京西小だったんですね。
小林:うちはね、ばあちゃんから。
ーー:へえ。用賀なんですね。元々ルーツはどちらなんですか?
小林:うちのルーツはね、えっと、西東京の田無(たなし)ってとこ。
ーー:あ、田無。うん。うん。 それが小林家のルーツ。
小林:田無の小林といえば結構、用賀のなんとか家みたいな地元のそういう立場だった。で、そこのじいさんが、えっと、次男坊だったんで、そっから飛び出して。
ーー:なるほど。で、用賀の方へ。
小林:うん。そうなんだよ。だから田無行けばちょっとは有名だと思う(笑)。小林家。田無の地主だった。
ーー:へえ。面白い。そっか。そっか。
小林:ま、そんなことがあって、昭和の頃の用賀は、え、どこの町がイメージ近いかっていうと、谷中(やなか)。
ーー:はいはいはい。
小林:谷中の階段の上から、こう下を見下ろすと、昔の50、60年前の用賀を見てるみたいな景色なんだよ。
ーー: えー!?行ってみたい!それは行ってみたい。
小林: ほんと、ほんと。ただ谷中の場合は、生活道路じゃなくてあそこは観光地だから。で、用賀は生活そのものだったんだよ。
ーー:なるほどね。なんか、とよ子さんに聞いた話だと昔は朝市とかが、こう開かれててみたいな話があるんですが。
小林:うん。それはもう商店街ができた後ね。商店街ができる前。商店街はそもそも昭和12年にできたんだよね。で、商店会としてちゃんと団体化したのは、昭和23年なんだけど。その前に、えっとね、優文堂っていう本屋があった。あ、SBSの地下に昔あったんだよね。それと鎌田さんと、それからうちのじいさんと3人で興したんだって。
ーー:へえ。で、理事長の、え、おじい様はもう製菓店をすでにやられてた?
小林:そう、そう、そう。うちのおじいさんはあの、飴の職人だったんだよ。飴屋。
ーー:飴屋!
小林:で、今の物産展やってる「よーがや」のところが店で。あそこで、その頃はね、戦争前の砂糖の統制の時代だから、そういうお店あんまりなくって。すごく人が来たよ。
ーー:へえ。そっか。戦争の前か。
小林:うん。本当その頃儲かったみたいでね。町全体が。うん。人がすごかった。でもそんな今みたいに店がなくて、何店舗だろう? 70店ぐらいしかなかったんじゃない?
ーー:当時はどんな遊びをしてたんですか?
小林:遊ぶって言ったらな。何やって遊んでたんだ? なんか自分たちで作ってたよ、遊びを。当時はその、なんて言うんだろう。「ガキ大将」の制度みたいなのがあって。必ずその地域にガキ大将がいて、その下が、こういるわけだよ。でもこの序列は何年経っても一向に変わんないわけ。
ーー:へえー。ここ(用賀)っていうのは今になっても。
小林:ずっと今でもね。でも今みんな死んじゃったけど。
ーー:え、理事長は大将だったんですか?
小林:大将じゃない。俺4番目。明確に序列がちゃんとある。だからそれは年代ごとにある。
ーー:4番目(笑)。へえ。
小林:そこでやってたのは、もう道路で遊ぶわけよ。車なんかほとんどいないもん。だから、この辺ではその「ガキ連中」のグループは、結構恐れられてた。うん。だって文句言うと、上から命令で、え、「ぶっ壊してこい」って。ぶっ壊しに行くんだよ。
ーー:何をぶっ壊すんですか?
小林:機材を。大工とかの機材を。
ーー:ええ!?結構「悪(ワル)」じゃないですか?
小林:結構じゃなくて相当「悪」(笑)。
ーー:え、小学生でそんな悪だったんですか?
小林:うん。悪ガキだったねえ。あ、一番たむろしてたのは、そこかな。すぐそこに八百屋があったんだよ。今の天ぷら屋があるとこ。そこに倉庫があって、もうそこが俺らのたまり場。秘密基地みたいな。
ーー:へえ。
小林:だからまあね、用賀神社ぐらいまでがテリトリーだった。で、そこで昼間遊んでて怒られるじゃない? 「うるせえ」とか言われてな。そうすると夜……よなよな。俺たちはさ、門限がなかったから。
ーー:そっか。商店街の子だから。
小林:うん。だからえっと、1日のスケジュールを言うと、学校へ行きます。そしたら学校で授業追い出されます。「お前らは来るな」と。
ーー:えー。もう出されるの(笑)?受けてなかったんですか?授業(笑)。
小林:受けられない授業もあった。うん。家庭科なんか絶対受けられなかった。わざと忘れていくんだよ、ものを。授業受けられないように……「じゃあ帰って持って出直してこい」って言われて、家帰って。
ーー:勝手に家帰っちゃうんだ(笑)。
小林:うん。それであの、今でいう東京組のところへ行って、そこでずっと遊んでて、終わった頃に給食のために学校に帰る。そんなことやってたから。
ーー:はい。はい。それでそれが終わって給食食べて……。
小林:給食はね、今で考えられないと思うよ。味のない食パンとか。あー、そうだな。クジラの竜田揚げ。あと脱脂粉乳。
ーー:揚げパンはありました?
小林:揚げパン、出た出た!揚げパン最高。これ今も昔でしょ? 揚げパンだけだ。味あんの?あれは最高だった。
ーー:揚げパンの人気は、今も昔も変わらないですね。
小林:ほんで学校から帰ってきたらもうすぐカバン放り投げて、ここの辺で遊んでて。で、遊びは……あ、これガキの頃に戻っちゃうね。遊びはうんと、「どこ行き」っていう遊びなんだけど、大きな丸を描いて、こういろんなところ(場所名・地名)を書くわけ。そこで「電車を触ってこい」とか「電車を止めてこい」とか。
ーー:ああ。お、そういうミッションみたいな。
小林:ミッションが書いてある。「電車を止めてこい」。止めてこいってどうやって止めんだって、本当に止めんだよ。駅の手前で止めるとか。
ーー:え、めちゃくちゃ悪ガキじゃないですか?え、それ、もちろん怒られるんですよね。止めたら。
小林:毎日交番。毎日、毎日ここのガキ連中のお袋は交番にいた。「今日もすいません」って。
ーー:毎日!?
小林:毎日。で、家帰ると親父にぶん殴られる。毎日。毎日。
ーー:中学校は、どんな生活を送られてました?
小林:中学校生活は僕らクラブ活動で、9人制のバレーボールやってた。
ーー:ええ、9人?
小林:知らないだろ。
ーー:え、今ってバレーボールは……6人か。
小林:うん。6人。9人って言ってもポジションは変わらないで、もう決まったポジションでやる。用賀中は、結構強かったんだよ。当時東京オリンピックがあって、そこでえっと「東洋の魔女」って言われてた。それが終わったばっかりだから。バレーボールっていうのを初めて僕らが知った時期で。
ーー:東洋の魔女!聞いたことある。へえ。
小林:で、用賀中学校は、試合の会場だったんだよ。世田谷区の。で、見に行ったの。そしたら東洋の魔女は6人制だったのに、9人でやってるよ!って。
ーー:確かに。
小林:うん。で、9人でやってる。「これバレーボールじゃねえよ」っつって。そっから色々はまってったんだよなあ。
ーー:高校はどちら?
小林:高校は桜町。桜町高校。高校の時もバレーボールやってて。ずっと運動やってたね。
ーー:結構昔はみんな硬派だったんですか?
小林:あ、硬派硬派。チャランポランな人生送ってるけど結構硬派みんな(笑)。今の若い子たちがすごいもんな。俺らついていけない。だって、高校時代は、手なんか繋いで歩かない。
ーー:時代もありますよね。
小林:うち桜町高校じゃん。で、男子校の駒大高校があるじゃん。だから駒大高校の生徒が桜町の女の子に目をつけて、毎日こう学校の外に来たんだよ。
ーー:おお。青春。
小林:で、やっつけに行こうつって自分たちの学校の女の子を守る。
ーー:へえ。なんか青春マンガみたいですね。

ーー:そっか。そっか。それで大学はあれですよね。駒沢。
小林:うん。大学に行ったんだけど、大学の前は、あれ。代々木の予備校行ってて。
ーー:え、代ゼミですか?
小林:そうそう。代ゼミは昔からあった。
ーー:代々木まで通ってたんですか?
小林:代々木まで通ってた。電車で。あ、電車ない。バスだ。当時はバスしかなかったもん。
ーー:そっか。なるほどね。
小林:うん。で、渋谷に着いて、まっすぐ行けば代々木だったんだけど、まっすぐじゃなくて、左曲がっちゃう。
ーー:どこに行くんですか?
小林:パチンコ屋(笑)。本当に。で、パチンコで、え、午前中を過ごして、2000円ぐらい稼いで。
ーー:え、勝ってたんですか?
小林:あ、勝ってた。勝ってた。で、それからえっと、渋谷区役所行って、お昼を食べて。だって区役所だと、そばが80円とかだよ。
ーー:あ、中に食堂が。
小林:そう。それで代々木のゼミまで行かなくて、その手前の代々木公園でみんなで野球大会やる。
ーー:パチンコからの野球(笑)。夜は六本木とか?
小林:夜は大学に通う前だからさすがにそういう遊びはしない。予備校時代に遊んでたのは、えっと、野球大会、パチンコ、麻雀。
ーー:え、勉強いつしてたんですか(笑)?
小林:大してやってない。
ーー:どうやって受かったんですか? 大学。
小林:どうやって受かったんだろう(笑)? いや、元々ね、国語だけは、ゼミの全国模試で17番目ぐらい入った。
ーー:おお、勉強してないのに。
小林:してないのに。だから国語だけだよ。偏差値74ぐらいあった。
ーー:ええ、そっか。
小林:英語がダメなんだよ。40ちょっとしかない。で、当時の試験は英語が150点で国語社会が100点だったから。一応目的として学校があったんだけど、そういうところは150点が英語だったから落ちた。
ーー:なるほど。駒沢は文系で?
小林:駒沢は3科目が100点だった。ホントどうしようもなくてさ。駒沢だって最後の最後の日に2年も浪人して、もう俺学校なんか行かねえっつって。絶対ダメだって言われてどっか行っとけって言われて。そんで最後の日に願書出して、願書出したらさ……こんなの絶対俺無理だと思った。倍率30倍。30倍もあった。
ーー:ええ!?今は定員割れしまくってる時代なのに。
小林:だから君らみたいに頭にいいとこ行ってないんだけど、俺にとってはさ、すごかったんだよ。その30倍をなんとか通ったわけ。
ーー:すごいですねえ!何を専攻されてたんですか?
小林:専攻は経済。経済やって、え、1年、1年の時にその経済学概論っていう、それだけ必死だったんだけど、それ単位落として(笑)。
ーー:(笑)。
ーー:卒業はできたんですか(笑)?
小林:した!うん。でも学校なんか、今考えたら全然行ってないな(笑)。
ーー:塾から行ってないですもんね(笑)。
小林:そう。小学校だって…小学校から?保育園からだ(笑)。
ーー:保育園(笑)!
小林:保育園から抜け出したもん。保育園はね、用賀保育園。昔はどこでも抜けれたんだよ。で、裏に豚小屋があって、豚小屋見に行く。豚をイジメに(笑)。
ーー:豚(笑)!
小林:でさ、ま、大学行ったって麻雀しかやってないじゃない? 大学行ってもサークル活動をやってて、そこで旅行し出して、あっちこっち行き始めたんだ。1番最初に行ったのが万博だよね。大阪。1970年。あれ、良かったよ。新幹線で大阪まで行ってね。指定券が1230円。当時は九州まで1週間行ってね、6700円。
ーー:へえ。そうなんだあ。
小林:で、大学の溜まり場は、そのサークル活動のたまり場があって、大体そこへ朝、人数足んねえから来いって言われて。麻雀の。
ーー:へえ。いや、面白い。充実した学生時代ですね。じゃあ結構、恋愛沙汰とかもあったんですか?
小林:そういうことは全然なかったなあ。硬派というか時代というか。
ーー:ちょっとこれ、ちゃんと社会に出れるのかが今のところ心配になるぐらいな(笑)。で、大学卒業されてどんな社会人に?
小林:えっとね、まともな社会人になってない(笑)。
ーー:ちょっと言える範囲でこう(笑)。
小林:いやいや。言えるっちゃ言えるよ。ちゃんと合法(笑)。違法なことはしてない。ただ社会から見て、それはちょっと普通じゃないんじゃないの?っていうことをしたり。最初はコックの修行をしてたの。
ーー:コック。
小林:コックの修行をしていろんなとこ回るでしょ。で、ある時吉祥寺のレストランのオーナーが、面白い仕事をしてて。「店を開店させる」っていう目的の。
ーー:開店っていうのはオープンさせる?。
小林:1週間とかでこの店を開店させろって。で、「何月何日の何時に客を連れて行くから並ばせろ」。金をいくらかけてもいいって。
ーー:え、
小林:だから、その店を自分が運営していくことが目的じゃなくて、転売な。最初だけわーっとこう賑わせて。いまで言うM&Aみたいな。原宿とかでさ、やってたんだよ。
ーー:うん。
小林:で、原宿の店なんていくらで売れたんだ? 5000万とか6000万で居抜きで買って準備して。で、そこは2階だったんだけど階段まで行列作って。
ーー:ほうほう。
小林:で、こうね、買いたい人が沢山いる時代だったから、売れるわけだよ。
ーー:それをいくらぐらいで売るんですか?
小林:2億。
ーー(新井、武井):2億!?当時ですよね。しかも。
小林:当時。え、何年ぐらい前だ? 何年前だろうな。40年、50年、近く前だね。だって俺、現金見たもん。
ーー:え、現金取引か。うわー。
小林:銀行なんか通さないよ。当時は。
ーー:なんか今のM&A屋さんみたいな。
小林:あ、そうそう。中抜きというか、ま、ハゲタカファンドじゃないけど、いわゆるバリューアップして転売する。そんなことをやってた。
ーー:すげえ。
小林:それをだから俺たちの仕事は大体そこで2週間。
ーー:なるほど。
小林:1ヶ所、2週間。で、また次。それで渡り歩って。
ーー:え、じゃ転売した差額は全部利益ってことですか?
小林:オーナーのね。で、俺たちはあん時いくらもらったんだろう? 週給で50万ぐらい。
ーー:週50万? 週給50万? え、だって初任給いくらぐらいの時代ですか?
小林:10万ちょっと。
ーー:それを週で50万。。。
小林:今で言うと200万ぐらい、1週間でガッと稼ぐ。1人。俺とね、一緒にやってた女の子がいたの。そいつもさ、小林って言うんだよ。別に親戚でもないんだけど。
ーー:(笑)。小林に縁があるんですね。商店街のよし子さんといい。

小林:でも、本当寝なかったよ。だって昼間はちゃんと仕事してたんだよ。昼間はコックの見習いやってて、それの給料は月給10万ちょっと。バカげてるよ。7時から5時までやって、それで5時からそっち(転売)の仕事に入って、朝の5時まで。それでシャワー浴びて寝て。それでまたレストラン行って。
ーー:めちゃくちゃ働きますね。
小林:うん。だからもうその頃ね。人の3倍ぐらいは働いてて、それを何年もやってたから。
ーー:何年も!?めちゃくちゃ稼いだんじゃないですか?
小林:どこに金、行ったんだろうなー(笑)。
ーー:それが20代後半ぐらい?
小林:そうそう。バブルの前。それで店、自分で店出して。あ、それで金無くなったんだ。
ーー:自分で店出したんですか? え、場所はどこでお店出された?
小林:フジスーパー。フジスーパーのところにお店を出して、中で。
ーー:え、フジスーパーの中って、お店出せたんですか?
小林:2階に、うん。商店街でお店がいくつか入ってた。
ーー:理事長は、どんなお店をやられたんです?
小林:喫茶店。
ーー:えー、イメージがつかないな。 2階に喫茶店があったんだ。
小林:2階。だからもう何年前だ? 50年40年以上前だ。
ーー:じゃあフジスーパーが、ちょっとしたモールみたいな感じだったってことですか?
小林:そう、そう、そう。洋服屋さんと花屋と、えっと、寿司屋と、それからうちとあとどこだったっけな。あとお菓子屋さんだ。5軒。
ーー:喫茶店をオープンされたのはおいくつぐらいの時ですか?
小林:えっとね、30(歳)ぐらいかな。すっごい狭い店で。忙しすぎて結局さ。アルバイトでとっかえひっかえ高校生4、5人使って。それでね、何年ぐらいやったんだ? 5年か6年やって。
ーー:え、お店の名前はちなみに何て?
小林:「ひろさん」って言うんだよ。
ーー:ひろさん。弘忠の「ひろ」だ。
小林:うちのチーフが、その当時で僕よりちょっと上のチーフだったんだけど、高校生のアルバイトが1200 円ぐらい。
ーー:え、時給?
小林:当時だよ。
ーー:時給!?今じゃないですか、それ?どういうこと? めっちゃ高い。
小林:だからバブルになってたから。もうそれぐらいの時給やっても、アルバイトニュースとかに求人出してたんだけど、うん。全然来ないんだよ。もうバブルで。えっと、4万、4万円なの1回。こんなちっこい枠が。
ーー:あ、求人広告。
小林:うん。それで3日間ぐらいなんだけど、4万かかった。えっと、40人ぐらい来ても、1人とか2人で(採用できるのが)。その来るやつも大して来なくなって、結局、ま、自分でやろうと思って。で、俺とチーフだけになっちゃってさ、チーフもジジイだから、俺らうん。もうダメだわと思って。
ーー:ええ、どんなメニュー出されてたんですか?
小林:いやいや、普通の喫茶メニュー。コーヒーとあと軽食。
ーー:サンドイッチとかオムライスとか?
小林:オムライスはね、めんどくさいからやんなかった(笑)。
ーー:(笑)。ナポリタンは?
小林:やってた。
ーー:ああ、それは理事長ができるから。
小林:うん。作ったりホールやったり。
ーー:そっか。理事長、料理できるんだ。すげえ。
小林:だからそんなこんなで、6年くらいでやめて。死んじまうよって思って。
ーー:ご結婚は?
小林:結婚は、だから店始める前。もう店始めたら結婚できないと思って。目の前に今のカミさんいたから。
ーー:奥様はどちら?
小林:あいつ、うちの後輩だったんだよ。桜町高校の。
ーー:ええ。あ、桜町の。
小林:うん。それでえっと仕事してたところに……仕事っていうか日給月給で働いてた時に、そこにアルバイトに来て。
ーー:え、飲食のお店ですか? え、ちなみに?
小林:ケーキ屋さん。全般やってたよ。販売、営業も経理も配送も。「久本(ひさもと)」って三軒茶屋にあったの。本店が。
ーー:今もあるんですか?
小林:ない。昔は久本さんの、先代は、結構洋菓子組合でも日本で結構有名だった。
ーー:へえ、そっか。そこで出会って。
小林:うん。そこ出会っていうかさ、たまたまあれだったからさ、店長が「お前の後輩だからお前が面倒見ろ」っつってさ。教育して。当時(奥さんは)16歳で来た。
ーー:あ、そっか。そっか。高校生だ。結婚式はどこでやられたんですか?
小林:結婚式はね、富士観会館。昔あったの、あの、多摩川の橋の脇に。結婚式だけじゃなくて新年会とかやってた。
ーー:ええ!富士観会館、全然知らない。多摩川の橋って、えっと二子玉川。
小林:そう。そこの脇にあった。再開発する前。
小林:そこから……香港に行ってる時にPTAの話が来て。
ーー:それはいつ頃?
小林:うん。香港やめたのは2000 年だから。
ーー:香港やめた?
小林:香港に会社作ってたんだよ。
ーー:香港に会社があったんですか?
小林:うん。香港に会社作って、トレード、貿易やってた。嫁さんの妹が、えっと、当時キャセイ(パシフィック航空)でCAやってたんだよ。で、そいつが香港に住んでたの。
ーー:ええ。
小林:で、そこで「これせっかくだから、向こうに会社作っちゃおう」って。なんかできればさ、「向こうに会社作れば遊びに行けるじゃん」と思って。
ーー:はあ(笑)。
小林:会社、向こう安いんだって。15ドルで設立。
ーー:えっ、15ドル?
小林:シェルフがあって。設立だけで15ドル。で、いろんな手数料とかあって50ドルぐらい。
ーー:あ、レンタルオフィスみたいな。どんな貿易をされてたんですか?
小林:あの、洋服作って。で送らせて。子供服。工場にOEMとかで。でも日本で店を出して、その店では利益出さずに、香港で収益を上げて。で、こっち(日本)は手数手料ぐらい、必要な経費だけ。
ーー:税金の関係ですか?
小林:節税じゃない。向こうで遊べるために。向こうにお金をプールしておいてってこと。そう、そう。
ーー:えーー。どんな洋服を販売していたんですか?
小林:そんな偉そうな服じゃなくて子供服。
ーー:おー。お店はどこでやってたんですか?
小林:お店は今のうちんとこ。用賀の。うん。で、そこでやってて。結構儲かるっていうか、結構良かったんだよ。
ーー:おおー。他のお店にも販売をして卸したりは?
小林:いやいや、してない。しないしない。自分のとこだけ。だって売る気ないもんな(笑)。
ーー:え、でも作って、ん、持ってくる時に利益が出せる。え、どういうことですか?
小林:うん。当時は二束三文で作れたから、それをその金額で買ってきて、香港の会社に利益を出させて、日本に仕入れて、こっちでは利益を出さない。
ーー:そんなに値段の差があったんですか?
小林:あった。当時まだ。
ーー:子供服ってちなみにいくらぐらいでこっちだと売ってたんですか?
小林:こっちで、3000円ぐらいで売ったのかな? そんなもん何百円で作れるんだ。うん。仕入れが。だからこっち1000円ぐらい取っとけばさ、輸送費だけ使って、それで従業員のお金だけ払えるようにして。こっちは家賃ないしさ。
ーー:え、すごい。めちゃくちゃ起業家じゃん。
小林:起業だね。
ーー:しかも国際起業家だ。すごい。
小林:うん。いや、意図が悪いやね。目的が。出た利益でマカオ行って遊んでくるとか。
ーー:すご。じゃあ相当あれですか? カジノは行ったんですか?
小林:行った。だって年間で50回香港に行ったもん。
一同:うわ(爆笑)。
小林:年間の半分香港で暮らしてたね。
ーー:向こうに滞在してる時はホテルですか?
小林:いや、妹の家に間借りして。そこで、えっと、メイドを連れて歩いてたんだよ。メイド、メイドさんを雇って、妹の家で雇ってる人だけど、一緒に行こうよっつって。
ーー:そっか。もう物価の格差が結構あったんですね。
小林:もう、めちゃくちゃあった。5万円あれば1ヶ月生活できたよ。
ーー:当時は香港はまだ中国返還前か。そっかそっか。
小林:日本人が行くところだともっと高いけど、ローカルのところ行くと、本当5万円でも1ヶ月楽勝に生活できた。バスだってミニバスっていうのがあって、でも英語か広東語でないと。
ーー:へえ、なるほど。
小林:で、香港ではあの日本人相手に観光ツアーみたいなことやって、ツアーというかコピー屋。コピー屋のつなぎをやって。コピーって、時計とか。地下のコピー屋があんのよ。手がこんな震えてるやつがコピーのロレックスとか売ってるわけ。そこへ連れてって「はい、小遣いくれ」って。
ーー:たくましいなあ(笑)。
小林:あとは香港の競馬場行って、日本人にレクチャーして、いくらかお小遣いもらって。乞食だよね(笑)。でも、あれをやったおかげで結構東南アジアも行ったよ。香港でチケット買ってたから安くて。50回行ったって、行ったり来たり全部ファーストクラスだ。
ーー:ええーっ! すごい。
小林:いや、俺って金ないからファーストクラスなんか乗れませんよって、向こうのアメリカ人の税理士に聞いたら、「いや、会社のディレクターだろ。だったらファーストクラス乗ったっていいじゃねえか。赤字だっていいじゃねえか」つって。
ーー:え、どういうこと?
小林:「その代わり車とか資産を絶対持つな」って。「ここがどこだか知ってるか? 香港だぞ。中国だぞ。いつ中国に召し取られるかわかんないぞ。そういう時には少しでもリスクを抑えて、資産を持つな」って。
ーー:なるほど。確かに何が起こるかわかんないですもんね。え、じゃあ中国に返還の時に結構そういうことが起こったんですか?
小林:起こった起こった。当時は、えっと、俺半年ぐらい行ってても、住民税なんか払わなかったのに、返還してから年間60日以上いるやつは税金払え、と。ただ、えっと、なんだ、法人税は18%で安かったんだけど。
ーー:じゃ、法人の資産に対する課税とか没収とかそういうのもあったんですか?
小林:あったよ。あったよ。でも飛行機が安かったおかげで、もう世界中回れた。
ーー:世界中行ったんですか? どんなところを?
小林:どんなとこって大体もう大きいとこだけ。うん。東南アジアは結構。ええっと、ヨーロッパも行った。アメリカは好きじゃないんだ。アメリカ人みたいに、こんなでっかいのが目の前に立ったらおっかないからさ(笑)。
ーー:なるほどね。じゃあ、20年前ぐらいか。2000年ぐらい。
小林:そう。2000年頃まで結構世界中飛び回って。よく金があったなあ。
ーー:こちらが教えてほしいですよ(笑)。
小林:いや、うん。なかった(笑)。今ないわ。でも、それで香港で仕入れてくるじゃない。で、また持って帰るじゃん。ダメだ。返品だって。この返品大丈夫なのつったら、いいんだって。ベトナムに送っちゃえばこんなもん全部売れるんだって。
ーー:はあ。なるほど。
小林:だからうちには迷惑かけてるけど自分とこには問題にならないって。
ーー:なるほどね。
小林:うん。だったら飛行機代出すよ。つって。
ーー:はあ。面白。
小林:そっか。面白い生活してたな。人生に悔いなしだよ(笑)。

ーー:そこからその香港の会社は畳まれて、その後から用賀に……。
小林:うん。で、その香港で会社やってる間に、PTAの話が来て。そんなもん、俺がね、受けられるわけがないだろう。「受けてもいいけど、俺スキャンダルだらけだよ」って。「叩けば埃じゃなくてゴミが出てくる」って(笑)。
一同:(笑)。
小林:そんでさ、結局PTAに入ってさ。俺はね、自分の周りにすごくいい人ばっかりいる……恵まれてたね、人には。警察でもさ。1人、PTAの子供が怪我したことがあって。そこに何が必要かって、「信号つけてくれ」って警察に行ったんだよ。今の、首都高の下の、西用賀通りのあそこ。
ーー:おー!はい、はい。
小林:西用賀通りにあそこ高速道路と2つ繋がってる。あれ1個、俺つけた。
ーー:えっ、あそこの信号、理事長がつけたんですか!?あのー、OKストアとかの曲がるとこの。
小林:いや、そっちじゃなくてもっと手前の。高速の下の。それが6ヶ月でできた。当時の町会長に可愛がってもらって、町会の名前使ってやったら、半年でできちゃった。
ーー:すごい。当時の町会長さんって、どなただったんですか?
小林:えっとね。こっちの鎌田さん。テニスコートの。上用賀は誰だっけな。飯田さんじゃなくて、その前だったんだよなあ。南は鈴木さんだったんだよ。
ーー:今も鈴木さんですよね?
小林:そう、その親父さん。上用賀、誰だっけなあ。
ーー:上用賀と言ったら柳田さん、和田さん、飯田さん。
小林:えっとね……あっ、恭次さんかな!
ーー:飯田恭次さん!
小林:そう。そんなことやってて。で、PTAやってる間に音楽の道が入って。昔、ヤマハのポピュラーソングコンテストっていうのがあって、そこで売れた知人がいたわけ。
ーー:うん。
小林:で、その人に「第二校歌作ってよ」っつって、作ってもらった。それが「京西さくら組」。京西さくら組の歌を作ってもらって。
ーー:へえー。
小林:で、そのその繋がりで、俺が18の頃からラジオで聞いて惚れてたミュージシャンに、その人を会わせちゃう。そっから今度またさ、色々始まんだよ。音楽編が(笑)。
ーー:音楽編が!!やばいなこれ(笑)。終わらない。
小林:だから毎週名古屋行ってた。いや、何ってわけじゃないけどそいつにくっついてさ。
ーー:ええ。理事長当時お仕事は何してたんですか?
小林:仕事は何してたんだろう? あ、もう今の仕事してた。不動産。
ーー:ああ、そっか。そっか。今用賀にある、小林ビルっていうのが元々の。
小林:うん。そう、そう、そう。あそこ工場だったの昔。お菓子の工場が終わって、もう売れなくなって。じゃ、何しようかなっつって。考えてたら次々入ってくるから。本当、楽しかったね(笑)。
ーー:いや、聞いてて面白いもんね。面白い。なんかその、昔の小説みたいな。
小林:うん。いや、そこまで、なんだろう。別に誰に言っても何ともないんだけどさ、ま、普通に真似しないよな、こんな生活(笑)。
ーー:いやあ、すごいですね。マカオもそれだけ行ってるし(笑)。
小林:うん。だから英語をさ、英語を勉強したのがさ。香港の夜。つまんないじゃん。だって少しは喋れないと(笑)。
ーー:そうですよね。コミュニケーション。
ーー:用賀の話になかなかたどり着かないのですが(笑)。それで、えっと、商店街に関わるようになったのはどのタイミングなんですか?
小林:うん。あのね、それまで、色々PTAやってた。で、主任児童委員とかやってたんだよ。だけど主任児童委員やってて、もう面白くないわけ(笑)。
ーー:面白くないんだ(笑)。
小林:面白くないよ。だってどっかの家をさ、じっと見てろとかさ、夕方の。暗くなりかけのところに。子供が、ほら泣くから、それが虐待じゃないかっていうので。どっかで見てろっつっても、俺なんか見てると警察から尋問受けるわけ(笑)。逆に2回されたから。たまたま自分の証明する身分証明持ってたから、これで済んだけど。2回されたもん。
ーー:なるほど(笑)。うん。
小林:で、そのうちそれをやってたら「商店街やれ」って話が来て。で、補助金が色々できてきて、その補助金の使い方もああだこうだ、区と喧嘩しながらやり取りして、ほんでそれを何年ぐらいやったんだ? えー、何年かやって、それで目黒さんが理事長の時に、俺……理事会でちょっと理事長と話が合わなくて、机蹴っ飛ばして出てきた。うん。
ーー:え、当時はもう理事だったんですか?
小林:理事、副理事長。
ーー:あ、副理事長。そっか。そっか。じゃあ理事になったのは結構……。
小林:理事になったのはね、カマタ電化の時だから、もう30年ぐらい前かな。
ーー:それで、目黒さんと喧嘩しちゃったってことですか?
小林:そう。でもちゃんとあれだよ?話し合いをして「じゃあもう僕は、あんたについていけません」つって、それで出てきた。
ーー:何がこう、噛み合わなかったんですかね?
小林:あの、福引きの景品で。俺たちは、あ、つまんないことだよ。ホントつまんないこと(笑)。
ーー:(笑)。
小林:韓国かなんかのツアーを付けた時に、1人は無理だって、海外で。ペアでお金もらってでもいいから。だって2人で1部屋でしょ。ペアだよ。そこを1人では行く人いないよつって。
ーー:あー、たしかに。
小林:うん。1万円でも取っていいと思うんだよ。そこでちょっと色々物別れが出て、そっから話が。「俺らは、前向きに話を進んでるんだけど、目黒さんは海に潜ってるよ」っていう話になって。だってもう商店街もその頃ダメだったんだよ。
ーー:ほう、何がダメだったんですか?
小林:ダメだったって、もうほら、みんなやり手がいなくて。
ーー:あ、結構、高齢化も進んでて?当時は理事は何名ぐらいいたんですか?
小林:理事はね、十何名。俺たちはさ、そんなこと言われる覚えはないって、今更商店街の発展とかなんとか言って、みんなバカなこと言うなって言われて、それじゃあ俺はあなたについていきませんつって。
ーー:え、当時理事長40代とかですか?
小林:40代。
ーー:俺らの世代だ。机蹴ったんだ(笑)。すげえ。そっか。そっか。
小林:それでうん。結構説得されたけど、いや、もう無理だって。
ーー:1回抜けたんですか?
小林:抜けた。3年間。理事そのものを抜けた。それで目黒さんが辞める時に、目黒さんが俺んとこに来て「お前あんだけ俺に言ったんだから、まさか逃げないよな。」で、売り言葉に買い言葉(笑)。分かりましたよ。それが今のこの職。理事長になったと。
ーー:理事長になったのは、てことは結構前?
小林:平成19年。何年前? 20年前だよ。
ーー:そっか。なるほど。じゃあその頃理事長は……。
小林:49で理事長になった。売り言葉に買い言葉で。
ーー:なんか、当時の不器用な男たちっていう感じで(笑)。
小林:親父から言われてたのは、商店街なんか絶対やるなって。
ーー:あ、そっか。理事長の親父さんも。
小林:うちの親父も商店会長やってたんだ。
ーー:え、何代目なんですか? ちなみに。
小林:何代目だ?
ーー: だって立ち上げたのは、理事長のおじいさまで。
小林:あ、その商店会の頃は、もう2年とかそれくらいでコロコロ変わってたから、もう20人ぐらいいたな。商店街の理事長では5代目。
ーー:あ、そっか。そうなんだ。
小林:で、俺は長くやりすぎちゃったから。鎌田酒店の鎌田修明(しゅうめい)さん、カマタ電化、フローラの上条さん、それから目黒さん、で5代目。
ーー:ああ、そっか。もう最長ですよね。今19年。
小林:めちゃくちゃ最長だよ。で、うちの親父も7年やった。当時はやっぱり最長だった。
ーー:なるほど。
小林:だから親父の頃は、商店街がこれこう右肩上がりの時期だったから。
ーー:お店の数が増えてくってことですか?
小林:うん。その頃に朝市やったり、色んなもん始めたんだ。それを片っ端しから俺がぶち壊してきた。
ーー:え!?どういうこと? どういうこと?
小林:やめてきた。うん。大晦日の甘酒とかさ。
ーー:ああ。え、なんでやめてきたんですか? それは。
小林:もうもう、手がない。人がいない。もう時代じゃないし。で、甘酒やってた頃に、そこ昔はさ、みんな商店街のお客さんだったわけ。そうすると「あ、こんにちは。」「あ、ご苦労さん」ってそういう対話ができたんだけど。もう今全部スーパーの客で。あんた誰みたいな話だから、誰がやってるかもわかんねえよ。
ーー:そっか、町の年越しの甘酒。甘酒はどこで配ってたんですか?
小林:神社で。だから神社の人みたいに思われてたよ(笑)。
ーー:そっか。神社と商店街が、かなりこう一緒に動いてたんだ。
小林:うん。神社だけじゃ何もできなかった。商店街。
ーー(新井):うちもよく行ってた。12時になったら用賀神社に家族で行って甘酒飲んで。
ーー:用賀神社って年越しやってますよね?でも甘酒は配ってない。
小林:今は三宅さんが色々とね、やり始めてくれてる。
ーー:そっか、そっか。なるほど。この高度成長期とかいろんなのを経て、こう街の様相とか……。
小林:随分変わったね。で、それに合わせて商店街も変わったっていうのがあった。大体そもそもね。用賀は町がさ、四角、ロの字の町じゃん?
ーー:うん。うん。うん。
小林:で、この町がそれぞれの時代で賑わいが違ってきてんの。駅が電車が走ってた頃は大山通り。で、電車がなくなってバスになった時はこの用賀中町通り。で、新玉川線じゃなくて、あの、田園都市線ができてからは美術館通り。だから、そういう風に変わってきてるから。人通りも、1万(大山通り)、1万(中町通り)、1万(美術館通り)。用賀中町通りが1万人いないんだ。で、向こうに上がってく人は2000人ぐらいしかいない。
ーー:ああ、なるほど。そっか、そっか。そういうのを見てきてるんですよね。
小林:うん。全部見てきてるね。

ーー:そういえば「よっきー」は、いつできたんでしたっけ?
小林:よっきーは平成20年。理事長になって結構すぐだね。国の事業でできたんだけど、ゆるキャラのブーム前だったね。「くまモン」なんかよりうちの方が早い。
ーー:早っ!
小林:うちより先にいたのはね、「ひこにゃん」ぐらい。で、彦根まで見に行って。京都のUFOキャッチャーにひこにゃんが入ってたんだよ。これだ!つって。
ーー:なるほどね(笑)。マスコットが勝手に広がっていくってことですね。
小林:それで「ゆるキャラ選手権」っていうのに出したんだよ。当時はもう、みんな行政が毎日組織票を入れるわけだよ。それと対抗しても90位だった。2000何体あって。結構、東京都で呼ばれて、うちのよっきーは「すがもん(巣鴨のキャラ)」と仲いいよ。
ーー:すごい(笑)。当時からあの全身サイズの着ぐるみを作ったんですか?
小林:そうそうそう。あれ、いくらぐらいか知ってる? 1体100万。
一同:うわー!
ーー:ちなみに、「よっきーじい」もいますよね? あれはいつ頃?
小林:よっきーじいは、よっきーが古くなった時に、これもう掃除しても洗っても綺麗になんないんだ、日焼けしちゃったから。じゃあどうしようつって「髭をつけよう」。髭なら簡単につくじゃん(笑)。それでよっきーじいを作って、(商店街事務所の)隣の部屋を「よっきーハウス」にして。あそこがよっきーハウスだった。
ーー:今のもつ肉屋さんのとこですね。あそこ、もう一軒借りてたんだ。

ーー:ちょっと未来の話を。これからの用賀の街、もしくは理事長個人の夢とかを聞かせていただけますか?
小林:個人の夢っていうわけじゃないんだけど、僕らだってもう70だから、そうそう先があるわけじゃない。 前からタスク(新井佑)にもずっと言い続けてんだけど、君らがもうこの町の中心……主役になんなきゃいけないんだよ。だから、それに資する人格を持ってくれと。ところがどっこい、タスクは最近いつもベロベロだって、イベントの時に(笑)。
ーー:まあ、お酒好きですからね(笑)。
小林:うん。だからタスクを攻めるわけじゃないんだけど、あのやっぱり自覚がまだないよ。そこんところだよな。でもその、ま、価値観が違うって言えば、その価値観を一緒にしろっていうことは無理かもしんない。俺たちの育ってきた時代と、今の若者が育ってきて何でもある時代。バブルの前の時代とバブルの後の時代。違うから価値観を1つにしようっていうのは、それは無理かもしれない。だけど町に対する愛情とかさ、「そんなことばっかり言ってるんじゃない!」って言われた。いろんな愛情があるんだけど。だけどさ、同じところもあんじゃないのって、俺は思うんだ。これは時代の輪廻なんだけどさ。いつの時代も「今時の若者は」っていうその言葉は結局さ、俺たちがガキの頃から言われてきたこと。でも今俺たちが使ってんだ(笑)。「今時の若者は」って。これはもう回っていくんだよ。
ーー:ああ、そうですよね。価値観も街の様相も変わりますよね。
小林:やっぱり街をこれからリードしていくとなったら、やっぱそれだけのものは必要だと思うよ、リーダーがね。じゃなきゃ自分の生活を守るために、今の政治みたいになっちゃうよ。「選挙だ」って言ってさ、今まで主義主張が違う奴らとくっついて、こんなバカなことするんだから。
ーー:なるほど。
小林:俺は(タスクに)そういう人になってほしいなって。自分の主義とか主張はいいの。これは持っててもいい。だけど「町に対する主義主張」は変えて欲しくないんだ。
ーー:深いですね。
小林:ただやっぱり、これからどうしていくかってなると、「オール用賀」でモノを考えていかなきゃいけない。今用賀は4万人に近づこうとしてるから。その4万人を、どういう風に導いていくかみたいな、偉そうなことじゃなくて。俺が導いていくんじゃなくて、みんなでそっちへ向かっていこうよっていう、そこのリーダーだから。それはしっかりしてほしいと。
ーー:そうですね。仰るとおりだと思います。
小林:で、今考えてんのは前から言ってんだけど、これ本格的に急がなきゃいけないんだけど、一般社団法人化して、そこでちゃんと給料を払えるような仕事も作って。そこで考えるべきことは、やっぱり用賀の将来ですよ。みんながどう思う町にするか。で、そこに用賀の大手企業なり中小事業者なり、商店街・町会が、ぶら下がっていけばいいんですよ。だから大枠は一般社団とかがあって。そこにやっぱり用賀のコアになる人間に入ってもらって。で、それはもちろん若者。10年後のビジョンを作るんであれば、その10年後に自分がそこにいる人間じゃなきゃだめ。
ーー:その社団っていうのは、商店街だったり町会だったり、それぞれの事業者、いろんな住人がみんな一緒になる器というか。
小林:そうそうそう。だから「エリアマネジメント」って今あっちこっちでやってるけど、区が主導してやってるんじゃだめで、やっぱり地元の住民がそれを主導していかないと。
ーー:ああ、それは確かに分かりますね。なんか行政も本当こう、町の中にまで手を突っ込めないというか。今僕上用賀に住んでますけど。町内会に入ってる人の割合がどんどん減ってて。
小林:そう、そう。だから、行政とか他人を当てにしないで。
ーー:おそらくあれですよね。商店街もこう、チェーン店とか増えちゃうと、昔のような一体感がなくなってっちゃったり。
小林:うん。ただやっぱりさ、街灯とかそういうのは街のためにやってんだから、その協力はこれから依頼していくんだよ。組合に入んなくてもいいんだけど。電気代くれよ、とか。そういう協力は求めていこうと思って。
ーー:なるほど!いや、確かにそうですよね。もちろんそれぞれ、特に事業者なんかは自分たちの利益は大事ですけど、結局町にいる以上は一緒にやらないといけない。
小林:人の褌で相撲取ってるんだよ、って思う。うん。そこは大事なことだと思う。
ーー:そうですよね。
小林:だって彼らは儲かんなかったらすぐ出ていっちゃえばいいんだもんね。俺たちは地面に根っこ張ってんだもん。
ーー:僕ら、ゴミ拾いしてるじゃないですか、毎月。面白いのがやっぱり個人のお店の前の方が綺麗なんですよ。で、やっぱり大きなところとかチェーン店とかの周りの方が汚れてて。
小林:ずっと昔から言ってんだ。「タバコポイ捨て禁止」とかなんとか言ってるけど、タバコなんかポイ捨ての街でいいんだよって。
ーー:え!?
小林:いつも言うけどね、それは「掃く人がいるから」。それで成り立って、その人の仕事を取り上げるなって。でもその前に、やっぱり自分の店は自分で綺麗にするだろう。それをなくしちゃダメなんだよ。
ーー:なるほど……! 確かに「いい街」って、みんながゴミを捨てない街じゃなくて、「ゴミが落ちててもみんなが拾う街」かも知れないですね。
小林:そうそうそうそう。逆なんだよね。
ーー:素晴らしい。自分の街ってみんなが思ってるってことですよね。いや、今日は本当に良いお話を聞かせていただいて。2時間ぐらい違う話もしましたけども(笑)。
小林:やっぱり人間ってさ、1人じゃ生きていけないからね。やっぱり助け合ってなきゃ生きていけないから。その辺はこれからも、今の構想いいと思ったら助けてよ。
ーー:いや、もちろん!僕らneomuraもチーム用賀も、そういう人たちが集まっている団体なので。今日は本当にありがとうございました!
