用賀サマーフェスティバル
[YSF]
story
遡ること16年ほど前。
当時大学生だったneomura代表の新井タスク(22歳)は大学生活を満喫…していなかった。そんな折、地元の連れ、額賀(ぬかが・元neomura理事)とマックにいるところにたまたま用賀小・中の同級生あそちん(麻生要一・元neomura監事)が。
ひさしぶりに再会した彼は、なんだかジャケットをピシッと着てあきらかに充実した日々を送っているようだった。
「…クソゥ、オレもなにかやりたい」
そう思ったタスクは、ふと「用賀でサマソニ(サマーソニック・毎年幕張で開催される国内最大級の音楽フェス)をやろう!」とひらめいた。額賀とあそちんも大絶賛! そのまま朝5時まで飲み明かし、気づけば一人で馬事公苑へ(朝7時着。)
「サマソニやりたいんですけど、貸切できますか?」@馬事公苑
守衛さんに話をするも敢えなく却下。(たぶん酔っ払い不審者と思われた)
「それなら砧公園だ!」と思い立って砧公園に行くも、事務局は上野(なぜなら、砧公園は東京都の管理下だから)。馬事公苑は手ブラがいけなかったと思い、今回は「Yoga Music Festival」という名刺とペライチ(簡単な企画書)をもって飛び込んだがまたしても却下。
ただ、音楽祭ではなく【地元のお祭り】に鍵があることを感じ、
「Yoga Music Festival」から「Youga Summer Festival」に変更することを決意する。
「あの、用賀で一番偉い人って知ってます?」
用賀の話はまず用賀の偉い人にするべし。
そう思いたち、ふと通りかかった地元の魚屋さんでレジ待ちするおばさまたち(5人ほど)にそう訊ねてみた。
すると「あなた知らないの?!そりゃお豆腐屋さんよ!」とお一人に返答をいただき、その足でお豆腐屋さんへ。
「すみません、ぼく、用賀でお祭りをやりたいんです」(タスク)
「キミのような若者を待っていたんだ!」(お豆腐屋さん)
こうして、タスクは当時用賀商店街の理事長だったお豆腐屋さん(目黒さん)と運命的に出会い、そこから→用賀小の内藤校長先生→上用賀町会長の和田義之さん→鎌田酒店の鎌田さん、用賀の鍵となる方と次々に繋がっていくことに。
同時に地元の仲間にも声をかけて、新井、額賀、麻生、中山、八木、雄一郎とお祭りの主要メンバーも集結。最終的には用賀駅前の場所を確保するために、目黒理事長と共に東急さんへ。
こうして2005年の8月、晴れてはじめての「用賀サマーフェスティバル(YSF)」が開催されたのです。
「お金がない…泣」
しかし、無事やり切ったと思いきや、経営がアバウト過ぎて大赤字…。さすがに広告スポンサー、寄付など、もう少し資金繰りのことを考えるべきだった…と猛省することに。
当時、一緒にお祭りを立ち上げた額賀は、引っ越し屋のバイトで稼いだ7万円をすべて返済に、タスクもビジネスプランコンテストで勝ち取った30万円をすべて資金に充てたのだそう、泣ける。。
年々来場者は増え続け、地元に愛されるお祭りに
しかしながら、お祭りに来てくれる人は年々増え、初年度は100人ほどだったのが、2018年では15,000人ほどに!
今や用賀の夏の風物詩「YSF」は毎年有志の学生たちを募り、彼らを主体に企画が練られているのも成功の鍵でしょうか。立ち上げ当時、大学生だったタスクの"若者への想い"は今もなお受け継がれています。